1. 赤ずきん、旅の途中で死体と出会う。文庫化
  2. むかしむかしあるところに、死体がありました。
  3. むかしむかしあるところに、やっぱり死体がありました。

むかしむかしあるところに、やっぱり死体がありました。 【試し読み】

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第一章・春

一、みかん

赤子がぎゃあぎゃあ泣いておる。……あれは……息子の、まつ坊の泣き声だ。

おみねははっとした。薄暗いぼろ屋の土間で、ぼんやりと佇んでおった。

目の前には、赤い羽織を着た、熊のような図体の八衛門が、うつ伏せになっておる。全身から酒の臭いをさせたわが夫は、顔をぬか床に突っ込んだまま、ぴくりとも動かない。おみねは慌ててその体を揺すぶった。

「あんた、あんた……

反応はない。半分ほどほつれた夫の髷をつかみ、その顔を引っ張り上げた。右眉から目の下までの長い切り傷、月代の真ん中の大きなほくろのある特徴的な顔――その顔が、真っ白だった。

「あんた、あんた」

頬を叩くが、ぬかがぼろりと落ちるだけだ。おみねは震えた。

八衛門が帰ってきたのは、ついさっきのことだ。なぜか、ひざから下がびしょぬれであった。

「おい、帰ったぞ」

雷のような怒鳴り声に、まつ坊が泣き出した。

「これは土産じゃ」

八衛門は、土間に下りたおみねに握りこぶしほどの大きさもあるみかんを三つ預けると、水甕の水を柄杓で掬い、ごくごくと飲んだ。それから、板の間で泣いているまつ坊のほうにぎろりと目をやった。

「うるさい餓鬼だ、こうしてやる」

八衛門は板の間に上がり、まつ坊を抱え上げる。

「何をするんです!」

おみねはみかんを放り出してまつ坊を奪い取り、八衛門を睨み付けた。その目が、八衛門は気に入らなかったようだった。

「子が生意気なら母親も生意気だ。誰のおかげで生きてられると思うとるんだ、ああっ?」

あんたのおかげではない。おみねは腹の底で叫んだが、口には出さなかった。

八衛門の仕事は行商人である。一年と少し前、ふと知り合って夫婦になったときには、優しい男だった。ところがおみねがまつ坊を身ごもった頃から、人が変わったように荒れていった。もともと行商のために、七日に一度この家に帰ればいいほうだったが、帰ってくるときは必ずと言っていいほど酒に酔っていて、おみねに手をあげるようになった。子どもが生まれても、その態度は変わることなく、むしろひどくなっていった。

大方、今日も飲んできたに違いない。もう日も出てきたころになって帰ってきて、こう暴れるのではかなわない。

「沢を歩いてきて腹が減った。何か出せ」

「出せって言ったって、何もありませんよ」

「早くしろ。おれは忙しいんだ。午後に人と会う約束がある。ほしいもんが手に入るんじゃ。それまでにひと眠りしたい」

「そんな、勝手なことばかり……

「もういい。漬物があったろう。自分でやる」

八衛門はふらふらとした足取りでぬか漬けの樽へと向かい、蓋をはねのけた。

「漬物はどこじゃ、漬物は」

そのときだった。ぬか床を引っ掻き回す八衛門の首元に、白い襟巻が巻かれていることに気づいた。見たこともない綺麗な光沢を放ち、八衛門が自分で買ったとも思えなかった。

女だ。おみねは直感した。「人と会う約束」というのだってその女とに違いない。

この男、私とまつ坊がありながら、よそで女と―。

おみねの中に衝動が走った。八衛門の背後に立ち、頭を両手で押さえると、一気にぬか床の中に顔を押し付けた。

うぐっ。もがく八衛門。その後頭部に今度は尻を載せ、自分の目方を八衛門の頭にかけた。

ぐぐ、ぐぐぐ。しばらく八衛門は苦しそうに手足を動かしていたが、やがて動かなくなった。

まつ坊は泣き止まぬ。

ぬか床を枕にするようにして突っ伏す夫。

死体をこのままにはしておけぬ。この家は中沢村の一ノ集落からも二ノ集落からも離れた川沿いにある。八衛門が帰ってきたところは誰にも見られてはおらぬだろう。夜を待って、裏山の崖へ投げ捨てるか。酒に酔って、裏山で迷い、足を踏み外して死んだことにできるはずだ。

とはいえ、八衛門のこの大きな体を抱えて捨てにいくのは無理だ。一ノ集落に住む琴吉は、子どもの頃からの知り合いだ。あの家には大きな大八車がある。あれを借りればいいだろう。

そこまで考えて、おみねは思い出した。今日の昼すぎ、隣村に住むおりんが、修繕した箒を持ってくることになっていた。そのときに死体があったら大変なことになる。

「どうしたらいいものか……

おみねは頭を抱えたが、こうなったらおりんが来る前に片づけるほかはない。たすきを持ち出し、泣き喚くまつ坊をすばやく背中にしょった。そのときふと、土間に転がったみかんが目に留まった。―たしか、土産だと言っていた。これがあると、八衛門が家に帰ってきたことがばれてしまうかもしれん。大八車を借りにいくついでに、どこかに捨てるか、誰かにあげてしまおう。

おみねはみかんをひっつかみ、戸を開けて表へ出た。中沢川の水音が、やけに耳についた。

さて、ここからどうやってみなさんの知っている「わらしべ長者」のように
話が展開していくのでしょうか……
続きは本書でお楽しみください!

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