人類最初の殺人 JINRUI SAISHO NO SATSUJIN 【試し読み】

人類最初の盗聴 試し読み 本文見出し

皆さま、こんばんは。

今週も始まりました。ラジオ『ディスカバリー・クライム』の時間です。ナビゲーターの漆原遥子です。

この番組では知られざる人類の犯罪史を振り返っていきます。

第三回目の今夜は、「人類最初の盗聴」です。

お話は、国立歴史科学博物館、犯罪史研究グループ長の鵜飼半次郎さんです。

きのう、取材先の奈良から戻られたばかりで、取材のあいだはずっと、ヘッドフォンで音楽を聴いていたそうです。

好きな曲は、ホワイトスネイクの「ヒア・アイ・ゴー・アゲイン」とのこと。どんな曲なのでしょうか。少しだけ気になりますね。

それでは鵜飼さん、お願いします。

〈ジングル、八秒〉

紀貫之は、古今和歌集の序文「仮名序(かなじょ)」のなかで、

「生きとし生けるもの、いづれか歌を詠まざりける」

と記しています。

これは、この世に生を受けているすべてのものの、どれが歌を詠まないといえるだろうか、という意味です。

かように歌とは自然発生的なものであり、さまざまな人が詠んできました。

古往今来、世界各地に多くの歌の形式がございます。紀元前五七年から九三五年まであった朝鮮半島南東部の国、新羅(しらぎ)にも歌がありました。それは「郷歌(きょうか)」と呼ばれているものです。

のちに新羅は高麗(こうらい)に滅ぼされ、高麗初期に郷歌の伝統は廃れてしまったため多くの歌は残っていません。歌人も多くは知られていませんが、ただ、そのなかにひとり、奇妙な出自の歌人がいます。

彼は、倭人(わじん)——つまり日本人でした。その地で彼は歌の名人とまで呼ばれる存在になっていたのです。

いかにして、日本人が古代の朝鮮半島において歌人になったのでありましょうか?

そこには、歴史を動かした、ある盗聴事件が深くかかわっていました。

それは「人類最初の盗聴事件」です。

今夜は、皆さんを飛鳥時代の日本へとお連れいたしましょう。

〈篳篥(ひちりき)の調べ、十五秒〉

それは、いまから千三百年ほど前、都が奈良の飛鳥にあったころのこと。

主人公は海老丸(えびまる)と申す若者。朝堂(ちょうどう)——現在でいうところの役所にかよう官人(かんじん)でした。彼は早くに両親を亡くし、伴侶はおりません。冠位は低く、ほとんど雑用ばかりをしていました。

しかしながら海老丸、計算が速くて正確なことで重宝されていました。当時の後飛鳥岡本宮(のちのあすかのおか もとのみや)では十四の朝堂があり、海老丸が勤めていたのは、戸籍と税を管理する、民部省(たみのつかさ)の朝堂でした。

このころすでに九九が中国より伝わっていました。当時の遺物のなかに九九を何度も書いて練習した木簡(もっかん)が見つかっています。税の計算を記した木簡も多数見つかっていますが、なかには計算を間違って多く見積もっているものもあり、いまさら払い戻しはできませんけれども、ややいい加減なところもあったようです。

いつの時代も役人は計算を間違うようでございます。

計算ともうひとつ、海老丸が朝堂で重宝されていた理由に和歌があります。当時はことあるごとに歌を奉納する儀がありました。そのため下っ端の官人であっても歌がうまい者にはその役がまわってきました。海老丸の歌は大変評判のよいものでした。

現在のように多くの娯楽がない時代、儀で詠まれる歌は人々の関心を多く集めました。歌は長く詠み継がれ、多くの人々の心を楽しませることになるのです。

しかし海老丸、じつのところ歌をつくったことは一度もありません。奉納する歌は、すべて亡くなった父がつくったものでした。

彼の父は歌づくりが大変上手な人で、膨大な数の歌を木簡に書き遺していました。海老丸自身は歌にはまったく興味がなく、そのなかからよさそうなものを選んで奉納していただけです。

さて、ある日のこと、海老丸は上官に呼ばれて席を立ちました。仕事の話だろうと思ってついていきますと、意外な人物に引き合わされて驚きます。

内臣(うちつおみ)の中臣鎌足——のちの藤原鎌足です。黒の冠と袍(ほう)を纏い、角張った顔に白髪交じりの髭を蓄え、対面する者を怖気づかせる雰囲気を持っています。

海老丸は思わず顔を伏せました。内臣といえば朝廷で二番目の地位にいる人です。当時は、斉明(さいめい)天皇が崩御し、次期天皇である中大兄皇子が即位しないまま政務を執る、いわゆる称制の時代でした。中大兄皇子には大海人皇子という弟がおりますが、政(まつり)には参加させず、鎌足が多くの政務を担っていました。

「そんなに恐縮せずともよい。顔をあげよ」

鎌足が野太い声でいいます。

いったんは顔をあげた海老丸でしたが、またさっと顔を伏せます。

鎌足が続けます。

「爾(なんじ)は歌を詠むのがうまいそうじゃな」

「ええ……まあ」

「そこでじゃ、爾に七日後におこなわれる遷都(せんと)の儀で、歌を詠ませたい」

海老丸は驚いて鎌足の顔を見ました。いっていることがよく飲みこめなかったのです。

当時は帝が変わるたびに遷都がおこなわれました。遷都とは都の引っ越しのことです。

確かにその時期、民のあいだで都が遷されるという噂が流れていました。遷される場所は誰も知らず、海老丸はたんなる噂であろうと思っていましたが、内臣から遷都の儀の話が出たということは、どうやらまことのことであるようです。

とはいえ、なぜそんな大切な儀に自分が歌詠みとして指名されるのかわかりません。

恐る恐る尋ねます。

……詠むというのは、つくるという意味でございましょうか?」

「そうじゃ。儀の場で歌をつくって朗誦(ろうしよう)するのじゃ」

……

海老丸は黙りこみました。

このような大きな儀においてこれまでその役を担ってきたのは、宮廷の女流歌人、額田王(ぬかたのおおきみ)です。自分がそんな大役をこなせるとはとても思えません。

海老丸は顔を伏せながらいいました。

「大変名誉なことではありますが、吾(わ)にはもったいない話です。とうていそのようなことはできないかと存じます」

「何、できぬと申すのか」

鎌足の声があがりました。

「いえいえ、あまりにもったいない話で……

隣にいた上官が海老丸の肩を叩きます。

「何を申しておる。いつも吾がいっておるではないか、爾の歌はすばらしいものぞ。遠慮するな」

「はあ……

鎌足が凄みます。

「これは中大兄皇子の御下知(おんげじ)である。爾は受けるしかないぞな」

上官が相槌を打ち、ふたりは海老丸を残して去っていきました。

海老丸は顔面蒼白になってその場に凍りつきました。

——遷都の儀で歌をつくって朗誦……

遷都の儀となれば皇族、豪族、官人等錚々たる顔ぶれが居並びます。そんなところで歌を即座につくって朗誦することなどできるはずもありません。なにしろ歌をつくったことが一度もないのです。

さりとて、皇子の御下知に逆らうこともできず、途方に暮れたのでした。

退堂までのあいだ、仕事をしながらほとんど遷都の儀について考えていました。何度も文字を書き損じては、そのたびに刀子(とうす)で木簡を削ります。当時の官人にとって刀子は必須の道具でした。古代の下級役人のことを刀筆の使(とうひつのり)と呼ぶのはこのためです。

正午の刻を知らせる鼓が鳴ると、海老丸はほとんど飛びあがるようにして立ちあがりました。この役目を仰せつかるとなったらすることが多くあります。何はともあれ歌をつくらねばなりません。

当時の役所は昼には仕事が終わりました。日の出から正午までが一般的な勤務時間だったのです。羨ましいと思う方もおられましょうが、下級の官人ともなると、朝堂の仕事だけでは食べてゆけず、そのあと畑仕事をする者や、寺で写経の内職をする者もおりましたから、実質労働時間はまだ続きます。

海老丸の場合、父の遺した歌を奉納することで報奨がもらえたため、ずいぶん助かっていました。

上官へ帰宅する旨を伝えると、そそくさと朝堂をあとにしました。

木塀に囲まれた粗末な掘立柱建物(ほつたてばしらたてもの)に戻り、父の木簡を収めた木箱をひっくり返します。

思ったとおり、遷都に関する歌は見つかりません。引っ越しに関する歌は何首か見つかるものの、都の引っ越しに相応しい歌ではありません。

「さて、困ったことになったぞ」

床に寝転んで天を仰ぎました。眼に映るのは蜘蛛の巣の張った木張りの天井です。

むくっと起きあがると、玄米と胡瓜の塩漬けをかきこみ家を出ました。向かった先は伯母の家です。伯母は父の姉にあたる人で、もとは官人でしたが、いまは引退して、ひとりで農作業をして暮らしています。

伯母が父と同じように歌をよく詠んでいたことを思い出したのでした。

さて、海老丸はこの窮地をどのように回避するのでしょうか……
続きは本書にて!

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