皆さま、こんばんは。
今夜から始まりました、エフエムFBSラジオ『ディスカバリー・クライム』の時間です。ナビゲーターは、わたくし、漆原遥子(うるしばら・はるこ)が務めさせていただきます。
この番組では知られざる人類の犯罪史を振り返っていきます。
第一回目の今夜は、「人類最初の殺人」です。
お話しいただくのは、国立歴史科学博物館、犯罪史研究グループ長の鵜飼半次郎(うかい・はんじろう)さんです。鵜飼さんは独自の理論と手法により、古代人の犯罪心理を長年研究してこられた方です。
実際にその土地へ行ってみて、現場の土に触れながら歴史を考えることもあるそうです。
もと裁判官で、趣味は落語とボクシング。
それでは鵜飼さん、お願いします。
〈ジングル、八秒〉
皆さんは、“バードマン”をご存じでしょうか?
映画ではありません。ある化石の名前です。
一九八四年八月、イギリスの古人類学者、リチャード・コールマンとその妻のルーシーは、ナイジェリアのオショボ北西にある洞窟で、人類の犯罪史を揺るがす大発見をしました。
それは、約二十万年前のホモ・サピエンスの男性の化石でした。
その男性の頭蓋骨頭頂部前方には、陥没した筋状の痕が残っていました。その痕は、いままでの化石には見られなかった形状であったため、夫妻はその傷痕の鑑定をスコットランドヤードの法医学チームに委ねました。現代の法医学を使って死因を突きとめようとしたのです。
結果、死因が判明しました。
撲殺です。
男は棍棒(こんぼう)のようなもので正面から殴られていたのです。頭を庇うために腕をあげたときに骨折した痕も見つかりました。
さらに法医学チームはCGを使って男の肉体を復元し、頭蓋骨を含む各部が負った傷痕から、その打撲の方向と強度を検証して男が亡くなったときの状況を再現することにも成功しました。
そこで驚くべきことがわかりました。それは、男が戦いのなかではなく、顔見知りによる正面からの一方的で唐突な打撃によって命を落としていたことです。
そうです。
これは、「人類最初の殺人」の証拠だったのです。
その化石には、もうひとつ特異な点がありました。遺体のまわりに化石化した大量の羽毛が見つかったことです。羽毛は、もちろん人間のものではありません。古代に生息した大型の鳥のものです。それらは、まるで遺体を覆うかのように置かれていました。このことから、この化石は、“バードマン”と呼ばれるようになりました。
はたして、バードマンとは何者で、いったい誰に殺されたのでしょうか? そして、どういう経緯でそこに羽毛が撒かれることになったのでしょうか?
いまからわたしがお話しするのは、人類最初の殺人事件の顛末です。
今夜は、皆さんを原始のアフリカへとお連れいたしましょう。
準備はいいですか?
それでは眼を瞑ってください。といってもドライバー以外は、という意味ですが。
〈フルートの調べ、十七秒〉
いまから二十万年前のこと。
ナイジェリアはオショボに、あるホモ・サピエンスたちが十六名で暮らしていました。
そのころ人類は群れで暮らしていたのですが、そこは母系社会であり、男性は成人すると自分の出自の群れから離れていきます。反対に女性は終生群れにとどまり、ほかの群れからやってきた男性と繁殖を繰り返しました。
母系社会ではありますが、リーダーには男性がなりました。これはライオンやニホンザルと同じです。どうも外敵と争う機会が多い種ほどこのような形態をとることが多いようで、危険なことは男性に任せようという女性のしたたかな戦略なのでありましょうか。
ともあれ、この群れのリーダーにも男性がなっていました。リーダーを筆頭に男性には序列があり、序列はさまざまなものに影響を与えていました。
たとえば男性の場合ですと、食事の量や寝る場所、抱ける女性の数などに関係していました。もちろん序列が上の男ほど多くのものを得ることができるわけで、階級闘争も相当激しかったようです。
ルランは、この群れの序列ナンバー2に位置する男です。
彼が、これからお話しする物語の主人公です。
体格はそれほどよくありませんが、頭の回転が速く、とりわけ狩りに優れていました。そのため、昨年この群れに加わったばかりですが、わずか一年足らずで序列ナンバー2の地位についたのです。
ある夕暮れのことです。
いつものように男四人は、ふたりずつ二組に分かれて狩りに出ていました。日没が迫り、ほどほどの収獲を得て、ルランとガルーダはもうこれでよいかと、住処としている洞窟に帰ってきました。
ガルーダはこの群れのリーダーをしている男です。大柄な男で肩の筋肉が盛りあがり、前歯はほかの群れとの戦いで殴られたため、ほとんどなくなっています。
もう一組はまだ帰ってきていません。ルランとガルーダが獲物を洞窟の出入口の前に置きますと、子供たちがやってきます。子供たちは獲物のまわりをヒャーホ、ヒャーホと歓声をあげながら走りまわりました。
ガルーダが低い唸り声で一喝しますと、すごすごと洞窟の奥へと戻っていきます。続いて女たちがやってきます。こちらも獲物を見るとやはり歓声をあげて喜びました。
女たちはひとしきり喜んだあと、夕食の準備にとりかかりました。
夕食の準備——といってもそれは、ただ肉を仕分けるだけのことです。そのころにはすでに人類は火を扱うことができたのですが、みずから火をおこす技術はまだ持っていませんでした。稲妻や日光による自然発火を見かけたときなどにそれを種火にして、おもに寒さをしのぐことに利用していたのです。肉を火であぶったほうが、より衛生的で美味だと気づくのはもう少しあとのことです。
仕分けが終わりますと、皆は洞窟のなかで食事を始めました。
きょうの夕食は、岩を投げつけて倒したイタチのような生き物——これは現在では絶滅して名前はついておりません——ほかには、小動物が数匹でした。十六人で分けるにはじゅうぶんな量とはいえませんが、まだ人類はそれほど狩りが上手ではありませんでしたから、これでも立派な収獲なのでした。
まだ狩りに出ているもう一組は帰ってきていません。が、リーダーが食事をするときに皆が食事をする、というのが当時のルールです。
洞窟のなかで食事をするあいだ、出入口には棍棒を持った若い男がひとり見張りにつきました。当時、人類はまだ地上最強の生物になってはいませんでしたから、食事どきは危険なときでもあったのです。外にはホモ・サピエンスよりも体格の優れたネアンデルタール人もいましたし、人間を好んで襲う肉食獣などもいて、常にそういった危険を警戒しながら暮らさねばならないのでした。
その日の食事は無事にすみ、皆はわずかな空腹感を覚えつつも、命の糧に満足してまどろんでいました。
突然、見張りについていた者が叫び声をあげました。皆が洞窟の出入口に集まりますと、北西の方角から、ひとりの男が近づいてくるのが見えます。
太陽は地平線に沈みかけ、真っ赤に染まる草原のなかを、その男は夕陽を背に陽炎のごとく歩いてきます。男は肩に何やら担いでいます。彼は狩りに出ていたもう一組の男、マーラーでした。
マーラーはハンハンという男と一緒に狩りに出ていたのですが、ハンハンの姿は見えません。マーラーが担いでいるのが、シダ植物の大きな葉に包まれた何かであることに皆は気がつきました。
子供たちのひとりがマーラーに向かって駆けだすと、ほかの子供たちもつられて駆けだしました。マーラーまでの距離は洞窟から五百メートルはあったでしょうか。そのころの人類は現代人よりもはるかに視力が優れていました。
やがてマーラーは子供たちとともに洞窟にやってきました。マーラーが洞窟の前に大きな葉に包まれた獲物の肉をおろしますと、皆が歓声をあげました。
その肉はすでに解体してあり何の肉だかわかりませんでしたが、女たちは手間が省けるのでさらに喜びました。いつの世もマメな男は好かれるようです。
さっそく二度目の夕食が始まりました。その肉は、彼らがいままでに味わったことのない不思議な味がしました。
皆が怪訝な顔をしていると、マーラーは両手を横に広げ、上下に揺らしてみせたので、それは大きな鳥だったのでありましょうか。
マーラーの棍棒には黒ずんだ血の跡が残っていました。その獲物の血なのかもしれません。
消化器官から分泌されたホルモンが脳神経に完全なる満腹感を伝え、皆は二度の食事に満足し、洞窟の出入口に差しこむ夕陽のなかでまったりとしました。
皆満足して、と申しましたが、ひとりだけ何やら悶々と考えている者がおります。
ルランです。
ルランは、なぜマーラーの相棒であるハンハンが帰ってこないのかと考えているのです。
皆はまったく気にする様子がありませんでしたが、ルランはどうしても気になりました。マーラーが持ち帰った鳥の肉に羽毛がまったくついていなかったことも気になります。
皆に二度の食事という幸福をもたらしたマーラーは、いつのまにか洞窟の奥で女たちといちゃついています。ルランは面白くない気持ちでそれを眺めていました。
当時、ホモ・サピエンスのあいだにはわずかながらに社会性が育っていましたから、群れへの貢献もその序列に影響を与えていました。マーラーはルランに次ぐ序列ナンバー3の地位にいます。ルランはマーラーに脅威を抱いたのです。
ルランは立ちあがると、マーラーに近づいていきました。そばまで行き、
「ハンハン!」
と怒鳴りました。
マーラーはルランに顔を向け、
「ハンハン?」
と聞き返しました。
当時人類はすでに言葉を発することができたのですが、まだ複雑な文法は持ってはいませんでした。あるのはいくつかの名詞と動詞だけ。それだけでコミュニケーションをとっていたのです。そのころはまだ誰も複雑なことを考えてはいませんでしたから、それでじゅうぶんなのでした。
マーラーはしばらくして、ようやくルランが尋ねているのは、ハンハンの居場所のことだと気がつきました。マーラーは、なんでもないといったように、
「シュシュ」
と呟きました。
それから空中の何かを手にとる振りをして、それを口元まで運ぶ仕草をしてみせます。
シュシュというのは、ある赤い実のことです。現在ではすでに見られなくなった種ですが、ハンハンがその実を食べたということをその動作は意味しているのだとルランは解釈しました。ルランはハンハンがその実が好きなことを知っています。
しかし、そのことがハンハンが帰ってこない理由にはなりません。それでもマーラーは、それでじゅうぶん説明し尽くしたと思ったのか、ふたたび女といちゃつき始めました。
納得のいかないルランでしたが、それ以上追及する言葉の術を持ち合わせてはいませんので、ハンハンは「シュシュ」の実を探しているうちにはぐれてしまったのだろうとマーラーの言葉を補って考えました。この時代にしては、ルランは頭がよい男でした。