むかしむかしあるところに、死体がありました。 【試し読み】

密室龍宮城

ページ目

六、

現場となった冬の間の出入口付近には、関係者たちがおおむね集まっていました。しかしやはり、乙姫様の姿がありません。

「乙姫様はどうしたのだ」

太郎は、集まった一同を見回して問いました。蝶々魚が答えました。

「気分がすぐれないとかで、お部屋にこもっていらっしゃいます」

「わかしもいないわ」

めばるが言いました。そういえば、春の間での聞き取りに、乙姫様だけではなくわかしも現れなかったことに、太郎はようやく気づきました。

「乙姫様のそばにずっとついているのでしょう」

亀が言うと同時に、ずい、とたらばが一歩前に出てきます。

「しかたなかろう。始めてくだされ、浦島殿」

たらばは、ぎょろりとした目で太郎を睨みます。

「おいせはやはり、殺されたのか」

太郎は、大きくうなずきました。

「理由は、海牛をめぐる色恋沙汰であろう」

居合わせた女子たちが、一斉に目を伏せました。やはり皆、うすうす感じていたことと思われました。問うた本人であるたらばは、目をぎょろりとさせたまま口を結んでいます。蛸はぴしゃりとはげ頭を叩き、当の海牛だけが涼し気な顔をしています。

「その者は、踊りの稽古ならばここがよかろうとおいせを唆し、冬の間に招き入れ、隙を見て隠しておいた昆布をおいせの首に掛け、絞め殺した。かんぬきを内側からかけ、外に誰かの気配がしたときを見計らって声を出した。うめき声程度のつもりだったものを、亀が『やめて』と聞き違えたのは誤算だったのだろう。とにかくその者はここで、たらばが戸を壊すのをじっと待っていた」

「戸が壊されたとき、その者はまだ中にいたというのですか」

蝶々魚が口元に手をやりました。太郎はうなずきましたが、たらばが「いやいや」と首を振ります。

「おれはおいせの死体を見つけたあと、部屋の中をくまなく見て回った。見ての通り何もない部屋だ。どこを見ても、竜の落とし子一匹いなかった」

「その者は襖の奥にいたのではない。ここにいたのだ」

太郎は足元を指さしました。そこには、真っ白な砂があるばかりです。

「浦島様、何を馬鹿なことを……

蝶々魚はそこまで言って、はっとした顔になりました。一同の目が、一斉にある者に向けられます。その者の顔面は蒼白になっていました。太郎はその顔をじっと見つめます。

「平目よ。お前がおいせを、自殺に見せかけて殺したのだろう」

「ち、違います……

「たらばが戸を壊し、三人が襖の奥のおいせを発見するまでを、この白い砂に紛れることによってやりすごし、再び人の姿に戻って今来たかのように見せかけた」

「そんな、濡れ衣です!」

逃げ出そうとする平目の喉に、赤いさすまたがぐいっと当てられます。平目は壁に追いやられ、龍宮城の仲間たちがその小さな体を囲みます。

「ひどいわ、平目。何も殺すことないじゃないの」

めばるが大きな目からぽろぽろと涙を流します。鯛と蝶々魚は、頭に手をやっていやいやをするように首を振ります。亀は茫然と平目を見ていました。

「違うわ。違うのよ」

「往生際が悪いぞ、へえ、平目。お前にしかできないだろう。かんぬきをかけた部屋の中に潜むなんて」

蛸がぴしゃぴしゃとはげ頭を叩きます。たらばが、その恐ろしい顔を平目に近づけました。

「おれは思い出したぞ。おいせが自ら死を選んだのだろうと初めに言い出したのはお前だ。おれたちの気持ちを、おいせの自害へと導こうとしていたのだろう」

そんなこと、太郎はすっかり忘れていました。しかし考えてみればこれも、平目がおいせを殺したことを裏づけているように思えます。

「平目!」「この嘘つき!」「不器量だからって、姉さまを妬んでいたのね!」「裏切り者!」

龍宮城の生き物たちは今や、平目を口汚く罵り、吊るしあげようかという勢いです。

「おやめなさい!」

突然響いた大きな声に、騒ぎが一瞬にして鎮まりました。廊下の向こうから、乙姫様がやってくるのでした。乙姫様はなんとも悲しそうな顔をしていました。

「浦島様。ついに真相にたどり着いてしまったのですね」

どういうことでしょう。乙姫様の口ぶりに、太郎だけではなく、他の面々も不思議そうな顔です。

「たらば、平目を岩部屋に閉じ込めておきなさい。どうするかは、追って決めます」

「はっ」

「乙姫様!」

平目の悲痛な叫びは、今や太郎の耳を素通りしていきます。乙姫様は、真相を知っていたというのでしょうか。

「浦島様。お話がございます。今すぐ、私の部屋へ」

有無を言わさぬ様子で、乙姫様はそう告げました。

「私は、悲しいのです」

あこや貝の寝台の上で、乙姫様は憂いのある表情で言います。あんなに甘いときを過ごしたあの寝台に、太郎は今は、上がることを許されていません。

「父の龍王から受け継いだこの龍宮城内で、目もあてられぬような醜い争いが……

「乙姫様は、平目がおいせを殺したことに気づいていたのですか」

乙姫様は、潤んだ瞳で太郎の顔を見ました。

「ああ、なんとむごいことをお訊ねになるのでしょう。……しかし、気づいていたといえば気づいていたのでしょう。私が皆の心を、しっかり把握していなかったのがいけないのです」

「決してそんなことは……

「浦島様。私は平目を罰せなければなりませぬ。それはそれは恐ろしい方法で」

太郎は背筋が寒くなりました。

「そのような中、あなた様をもてなすことはこれ以上はできませぬ。誠に勝手ながら、陸の世界にお帰りくださいませ。いらしたときと同じく、亀に送らせましょう」

乙姫様の鬼気迫る表情に、太郎は何も言えませんでした。もうここは、あの楽しい龍宮城ではないのです。よそ者の自分はとっとと帰ったほうがいい。太郎は自分に言い聞かせました。

乙姫様は太郎の前に何かを置きました。重箱のような黒い箱に、赤い紐がかけてあります。

「これは玉手箱という宝物です。これをお土産に差しあげます」

太郎は受け取りました。

「私たち龍宮城の生き物は、外に出ても気持ちはそのままに過ごすことができます。しかし、あなたはそうはいきません」

「どういうことですか」

「いいですか、浦島様。この箱はどんなことがあっても、絶対に開けてはなりませぬよ」

何やら話が通じなくなってしまったような気がして、太郎は寂しい気持ちになりました。しかし、うなずく他はありません。

すると乙姫様はようやく、あの優しい顔に戻ったのでした。

「あなた様のことは、私、いつまでも忘れません」

その声に、太郎は急に名残惜しくなるのでした。

七、

太郎は亀と共に龍宮城の玄関まで歩きました。たらばがさすまたを持ったまま、ぎょろりとした目で二人を見つめます。

「浦島様はお帰りです」

そう言うと亀はなぜか、たらばに一本の竹筒を差し出しました。

「たらばさん。これは私からの差し入れです。甘いお水です。この度のこと、いろいろお疲れだったでしょうから」

たらばは途端に、嬉しそうに笑みを浮かべました。頬には赤みも差しているようでした。来たときからうすうす感じていましたが、たらばは亀に気があるようです。しかし、太郎にとってはもう、どうでもいいことでした。

たらばは、太いかんぬきを外しました。扉が開き、外の海の世界が広がっているのが見えます。

「浦島様、どうぞ、背中に」

そこにはもう美しい娘の姿はなく、浜辺で出会ったときのままの亀がいました。太郎は玉手箱を落とさないように大事に抱え、その甲羅にまたがりました。

陸への帰り道は、静かなものでした。せっかくの美しい景色も、太郎の心を楽しませるものではありませんでした。乙姫様はこれから、平目に罰を与えるのです。それはどんなに恐ろしいものでしょうか。あの美しい乙姫様がむごいことをするかと思うと、なんだかやるせない気持ちになるのです。

「浦島様」

どれほど龍宮城から離れた頃だったでしょうか。それまで黙っていた亀が口を開きました。

「平目はなぜ、冬の間の内側のかんぬきをかけたのでしょう」

今さら、不思議なことを言います。

「おいせが自ら首を絞めたように見せかけるためであろう」

「そんなの嘘だと、すぐに見破られてしまったではないですか。あの扉を開けておけば、誰がおいせ姉さまを殺めたのか、永遠にわからなかったはずです。白い砂に化けられるのはあの子だけなのですから、自分が殺したと言っているようなものではないですか」

そうでしょうか。しかしそう言われれば、そんな気もしてきます。

「白い砂に化けるといえば、平目が魚の姿から人の姿に変わるとき、すぐ前に化けていたものの色にお着物が染まってしまうことに、浦島様は気づいていましたか」

「いや……

たしかに初めて平目に会ったとき、黒い床から人の姿に戻った平目は、黒い着物を着ていました。

「おいせ姉さまの死体を発見したとき、平目のお着物はどんな色でしたっけね」

海の中をぐんぐん進みながら、亀は問うてきます。太郎はすぐに思い出しました。平目は、冷たくなっているおいせと同じような、真っ赤な着物を着ていたのでした。直前まで白い砂に化けていたのなら、白い着物でなければいけないはずです。

……秋の間で、紅葉に隠れて海牛を見ていたというのは、まことだったというのか」

「そもそも平目は、おいせ姉さまと仲が良かったのです。二人で謀って、河豚の姉さまが毒を盛ろうとしたという噂を流し、追放に追い込んだくらいですから」

亀は太郎の問いには答えず、なぜかもういなくなった河豚の話を始めました。

「河豚の姉さまは優しかった。私はあの、ぷっくらした愛らしい姿が大好きでした。おいせ姉さまに毒を盛ろうとしたなんて、嘘に決まっています。河豚の姉さまは龍宮城を出るとき、私に形見だと言って、毒の入った杯をくれたのです」

「亀よ。お前はなぜそのような話を」

「さて。お土産代わりでしょうか。さあ、そろそろ浜辺に着きますよ」

ざばり、と音を立て、太郎の顔が海面に出ます。久々の日差しが、目を刺すようです。ほどなくして、太郎はあの懐かしい浜辺に戻ってきました。

「それでは、浦島様、いつまでもお元気で」

「ああ……

どこか腑に落ちない気持ちのまま、太郎は応えました。亀は二、三度手を振ると、波打ち際に消えていきました。別れはあっさりしたものでした。

それから、浜辺の様子がおかしいと気づくのに、そんなに時間はかかりませんでした。

そこはたしかに、太郎が毎日魚を取っていた浜辺です。特徴的な岩や、遠くの山の景色などがそう教えてくれます。しかし、岩のそばに生えていた小さな松が、ぐにゃりと曲がった古い大木になり、木肌にはうろこのような苔がむしています。太郎は母親が待つはずの家へと急ぎました。するとそこには太郎の家はなく、見たこともない石造りの建物が建っているのです。石……あれは本当に石でしょうか。あのように白く、真四角な石は、太郎は見たことはありません。

途方にくれていると、その建物から一人の老人が出てきました。その老人は、上半身と下半身が分かれた、奇妙な着物を着ていました。

「もし、お尋ねしたいのですが」

太郎が話しかけると、老人は仰天しました。

「ありゃあ。あんた、変な格好しとるな。浦島太郎さんみたいじゃ」

「いかにも、私は浦島太郎です」

「はっはは、面白いお方じゃ。浦島太郎といったら、もう四百年も前にこの浜辺から海に消えていったという男じゃ」

四百年……

「そんなに真面目な顔をなさるな。子ども騙しの昔ばなしじゃ」

老人の笑い声はもう、太郎の耳には届いていませんでした。

どこをどう歩いたのでしょう。太郎はいつしかまた、浜辺に腰掛け、ぼんやりと海を見ていました。

「はっ」

太郎は手元に目を落としました。玉手箱です。これを開ければ何かわかるかもしれません。乙姫様との約束が、頭に浮かばぬわけではありませんでしたが、湧きあがる欲求を止めることはできませんでした。太郎は紐を解き、蓋を開けました。

箱からは、白い煙がもくもくと立ちのぼりました。途端に、太郎の両手がしわだらけになっていきます。

老いていくのだ。そう感じたとき、太郎は唐突に思い出しました。

「ととき貝」という桜色の伝説の貝。あれは「止時貝」と書き、持っている者の周りの時の流れを、止まっているほどに遅くしてしまうというものなのでした。龍宮城で太郎が過ごしたのは二日間。そのあいだに、止時貝の力の及ばぬ外の世界は、四百年の時が流れていたのです。

—私たち龍宮城の生き物は、外に出ても気持ちはそのままに過ごすことができます。しかし、あなたはそうはいきません。

太郎は、乙姫様の言っていたことの真意を理解しつつ、亀を助けたときのことを思い出しました。

亀はあのとき、浜辺の子どもにととき貝を取りあげられ、少しのあいだ泡の外に出てしまったのでしょう。気持ちはそのままに、体だけは少し年老いてしまったのです。おそらく亀は龍宮城を発つ前、平目や蝶々魚と同じく十四歳くらいの女の子だったのです。平目が「そんなふうになってしまって」と言ったのや、乙姫様が「大変な目に遭ったのですね」と言ったのは、額の傷のことではなく、亀の体が少し大人になってしまったことを言っていたのでしょう。龍宮城の生き物たちにとって、泡の外の時の流れは早いのです。

……あっ!」

そして太郎は、煙の中ではたと気づいたのです。冬の間を閉じた部屋にする、もうひとつの方法に!

珊瑚で固められていたあの窓です。外の珊瑚をあらかじめ壊し、窓を使えるようにしておくのです。その者はおいせを冬の間におびき寄せて昆布で殺し、白木の戸にかんぬきをかけたあと、窓から外へ出て、門から何食わぬ顔をして入ります。珊瑚のほうは心配ありません。その後、中庭の中央にある大ととき貝を、台ごと南西の方へずらしておけばいいのです。龍宮城は、大ととき貝の不思議な泡に、その四隅がすれすれに入っていました。となれば、台を少し動かす事によって、泡全体が南西に移動し、冬の間の窓は泡の外に出るのです。太郎が眠りについていた三刻ばかりのあいだ、泡の外では数十年の時が流れ、龍宮城の生き物である珊瑚は再び壁を覆い、窓は使い物にならなくなるのです! そういえば海牛が、中庭の台とそれを囲む岩の配置がおかしいなどと言っていたではないですか。

玉手箱からはなおも煙が出てきます。すでに骨と皮ばかりになってしまった太郎は首を振り振り、この突拍子もない説を頭からぬぐい去ろうとしました。しかし、また気づいてしまったのです。この説を裏づけるもう一つの事実に。

冬の間でおいせが殺められているあいだ、階上にある蛸の部屋も泡の外に出ることになります。だからこれを計画した者は気づかれないよう、その時間、蛸の部屋に誰も入れないように工夫をしたのです。しかし、被害をこうむってしまった者がいました。乙姫様より掃除を仰せつかったわかしです。泡の外に出たのは蛸の部屋のわずかな一隅だったでしょうが、掃除の途中にその場所に出てしまったわかしは、成長してしまったのでしょう。

「ああ……

太郎はため息をつきました。わかしという魚が成長によって、いなだ、わらさ、鰤と名を変えることを、漁師でありながら今の今まで忘れていたことを嘆きました。乙姫様の部屋にやってきた、上半身が裸の怪しき中年の男。あれこそ、鰤になってしまったわかしの姿だったのではないですか! たらばが、蛸を捕らえる際に壊した鏡の破片に映る自分の姿を見て取り乱し、言葉を失ったまま乙姫様に助けを求めに行ったに違いないのです。春の間での太郎の聞き取りに、わかしが現れるはずはありませんでした。あのときすでにわかしは、たらばによって追放されてしまったあとなのですから。

なんという恐ろしいことでしょうか。この、おいせ殺害計画を立てたのは誰なのでしょうか。

さすまたで珊瑚を壊したり、門を開けたりできるのは、たらばだけです。力の強いたらばならば、大ととき貝を台ごと動かすこともできたでしょう。しかし、おいせに嫌われているたらばは、おいせを冬の間におびき寄せることができません。

頭に浮かんだ絶望的な結論に、太郎は涙を流さずにはいられませんでした。蛸の部屋に誰も入らぬよう、蛸を怒らせて墨を吐き散らかせた者。おいせの苦しそうな声を聞いたというのも、平目に罪をなすりつけるための嘘だったのでしょう。たらばに色目を使って、協力させるのもわけはありません。差し入れと偽って、隠し持っていた河豚の毒を飲ませれば、秘密が漏れるおそれもありません。そもそも、太郎を龍宮城へ連れていったのだって、誤った結論を導くために、信用できる外部の者が必要だったからかもしれません。すべては、河豚を追放に追い込んだ、おいせと平目への復讐のために。

「ああ、ああ……

太郎は、砂浜にうずくまりました。穏やかな波の音も、今や何か、邪悪なものの囁きに聞こえます。

このまま砂に還ってしまいたい。何者でもなくなりたい。

太郎はそう思い、やがて、気が遠くなっていきました—。

白い砂がまぶしい、静かな浜です。そこに、弱々しい一羽の鶴がいました。鶴は悲しげに一声鳴くと、空へ飛び立ちました。寒空の青に去っていく、寂しい白。もう二度と、戻ってくることはないでしょう。

あとに残るのは、誰もいない海辺の、誰もいない時間です。波はいつまでもいつまでも、寄せては返しているのでした。

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