赤ずきん、アラビアンナイトで死体と出会う。【試し読み】_タイトル画像

シンドバッドと三つ子の事件

シャハリアール1.

クテシポンの町は今日も夜の底に沈み、星々に見守られながら静かな音楽に包まれている。

宮殿と渡り廊下で結ばれた《王妃の間》で、シャハリアールはベッドの前の床に胡坐をかいている。絹のシーツの上ではいつものようにシェへラザードが足を崩している。 

今宵、この部屋にいるのは二人だけではない。赤い上着を羽織った召使が一人、湯沸かしの前に控えている。

「両腕にはじゃらじゃらと金の輪が七つずつつけられていてな、首からは赤青黄色の宝石をあしらった首飾りをつけているんだ。それだけじゃないぞ、頭に載せた王冠にはスイカほどの大きさのルビーがついていて、重さで首がめり込んでいたぞ」

大きく身振り手振りをしながらシャハリアールは、昼間に歓待したマリピ王国のダマンサ・ダムーサ王の話をシェヘラザードに聞かせていた。

「美しき黒い肌の女を十二人も控えさせていて、彼女らもまた、見たこともない金色の首飾りをしているんだ。王は彼女らに向かって聞き取りにくい言葉でつまらん冗談を言うと、大口を開けて傍若無人に大笑いする。上の歯も下の歯もみーんな金歯にしていて、悪趣味ったらなかったぞ」 

シェヘラザードは口に手を当てて微笑んだ。ここのところ、もっぱら話を聞かせる側であった彼女が、自分の話に笑っているのを見て、シャハリアールは心地よさを覚えた。

「あれだけの黄金を持ちながら、それをまったく使いこなせていない。滑稽なことだが、あの財力は味方につけておいたほうがいいだろう。余は必死に気を遣い、ペルシャ中の珍味を並べ、音楽を聞かせ、劇を見せ、歓待してやった。ダマンサ・ダムーサ王め、満足して帰っていった」

「それは本当に、すばらしいお仕事をされました。君主として素敵なことですね」

「お前がそう言ってくれると、心も休まるというものだ。そうだシェヘラザード、今宵はこれを持ってきたぞ」

シャハリアールは金色の刺繍の施された、大きなクッションを差し出した。

「お前、いつもベッドの上で枕にひじをついて話しているだろう。だがその枕は少し高いようだ。これに替えるがよい」

「ありがとうございます」シェヘラザードはなぜか慌てたように言った。「ですが、私はこの枕が気に入っていますので」

「遠慮するでない」

「いいのです……あっ!」 

シャハリアールは立ち上がり、枕を無理やり取り除いた。枕の下には白いクッションがあり、枕とクッションに挟まるように青い小箱があった。

「なんだこの箱は?」

「この部屋にもともとあったものです。枕の下に敷いて眠ると、首の凝りが取れて気持ちいのです」

おかしなことを言う女だ。シャハリアールが首をひねると、

「ココアが入りました」

召使が言った。テーブルの上の二つのカップはいつしか茶色い飲み物で満たされ、湯気を立てている。

「ご苦労であった。あとは自分でやる。もう下がってよい」

深々と頭を下げ、召使が出ていく。枕を元に戻し、シャハリアールはベッドから離れた。扉が閉められるのを見届けたあとで、カップをシェヘラザードに手渡した。

「飲め」

「これはなんでしょうか」

「マリピ王国で飲まれている、ココアという飲み物だそうだ。美味いぞ」

「いただきます。……本当ですね、甘くてとてもおいしいです」

「とろりとした舌触りはココアの実を加工したものだそうだが、甘さについては教えてくれなかった。アフリカにはわからぬことが多い」

「そうですね」

シャハリアールとシェヘラザードは同時にカップに口をつけ、ココアをすすり、顔を見合わせ……、同時に、ほっと息をついた。

「優しい味がします」

「まったくだ」

だがここで、シャハリアールははっとした。

「落ち着いてばかりもいられんのだシェヘラザード。余は赤ずきんの物語の続きを聞きにきたのだから」

「ええ、わかっております」

シェヘラザードはベッドサイドのテーブルにカップを置き、いつものように枕にひじをつく体勢になる。

「女泥棒ダリーラに小さくされてしまった赤ずきんはどうなった?」

「売り飛ばされてしまいました」

「なんだと?」

先ほどまでの優しい気持ちはどこへやら、シャハリアールの中に怒りと興奮がこみあげてくる。

「どこのどいつだ赤ずきんを買ったのは! 余がそいつから買う! 黄金をいくら出してでも、ダマンサ・ダムーサ王に肩代わりさせてでもだ!」

「落ち着いてください、王様」

シェヘラザードはエメラルドのような瞳をシャハリアールに向けた。

「赤ずきんは危機を切り抜けます。勇気と大胆さ、そして類まれなる幸運に恵まれた、ある船乗りと共に―」

赤ずきん1.

ゆーらり、ゆーらりと船が揺れるたび、鉄の檻は床をずざざー、ずざざーと滑っていき、他の檻にがちゃんとぶつかります。

「きゃあ!」

〈ぎゃあ!〉

赤ずきんが叫ぶのと同時に、向こうの檻に入れられている猿もまた叫びました。

〈驚くじゃねえかこの野郎! 何回ぶつかってくりゃ気が済むんだ! ききっ!〉

ごろごろごろごろと、檻にロープで結わえ付けられている重し代わりのナツメヤシの実が遅れて転がってきました。

「私のせいじゃないって言ってるでしょ」

赤ずきんは吐き気を抑えながら答えます。初めは強気に言い返していたのですが、だんだん船酔いしてきたのでした。

〈顔が青いぞお前。こっちに向かって吐いたら、ただじゃおかねえからな、きいっ!〉

赤ずきんは、胸を押さえるだけにとどめました。

〈どうしてこんなに揺れるのかしら〉

〈おい、出せ、俺をここから出せ!〉

〈ああ、降ろしてください、この世に神はいないのか、ああ……

周囲の檻の中には、兎や猫、きつねなどの動物が入れられていますが、船の揺れに口々に文句を言っていました。指輪の魔人によって赤ずきんの右耳あたりにつけられたイーリス鳥の羽は、知らない言葉を赤ずきんがわかる言葉にしてくれる優れモノなのですが、動物たちの声まで聞こえてくるのは、時として煩わしいものでした。

ああ、私はなんて不幸なのかしら……赤ずきんは自分の運命を呪いました。

〝銀のクジャクの布〟によって、体を小さくされてしまったのはもう五日も前のことです。モルギアナなどと名乗って赤ずきんを騙し続けたあの女泥棒ダリーラは、抵抗する赤ずきんをひょいと摘み上げて、陶器の壺に入れて蓋をしました。分厚い陶器は、赤ずきんの声まで封じてしまいました。

蓋がはずされたのはその日の夕方です。壺を覗き込んできたのは、前歯の抜けたしわくちゃ顔の男でした。

「おーほほ、本当だ。小さくて、かわいい女の子だ」

男はいやらしい笑みを浮かべると、

「買った。400ディナールでけっこうだ」

「まいどありぃー」

すっかり商売人っぽいダリーラの声を最後に、また蓋がされました。

その晩、赤ずきんは、壺からこの檻に移されました。

「私は小鳥じゃないわ、出してよ!」

「おーほほ、威勢のいい赤ずきんちゃんだ。いいかい。おいらはジムザム。マダガスカルにまで名の知られた動物曲芸団の団長だ。明日、モガデシュでの興行に向けて、このバーソラーの港を発つ。ほほ、君みたいな小さな人間を見たら、モガデシュの連中、おひねりをはずんでくれるだろうさ」

「私を見世物にするつもり! この、この!」

檻の柵を叩きましたが、ジムザムはそんな赤ずきんを見ながら喜んでパンをかじるだけでした。

かくしてバーソラー(そんな港町に運ばれていたのも、暗い壺の中にいたために知らなかったのですが)を出て四日間、赤ずきんはこの薄汚く獣臭い船底の部屋で、ずざざー、ずざざーと揺られ続けているのです。

〈やい、人間の小娘〉

どすんとぶつかった籐製のかごの中から、野太い声がします。蓋の隙間から、黄色く光る二つの目と牙が見えました。この曲芸団で最も恐れられているキングコブラでした。

〈俺はこの三日、何も食い物にありつけずにムシャクシャしている。そのときが来たらお前に噛みついてやるから覚悟しておけ〉

赤ずきんはゾッとしました。籐かごの一部に小さなほつれがあります。もし破けてしまったら、赤ずきんの檻の中に柵の間から侵入できてしまうでしょう。

コブラに噛まれて死ぬなんてまっぴらです。赤ずきんは檻の柵をつかんでガシガシ揺らしました。

「ダリーラ! なんでこの隙間を通れるくらい、私をもっと小さくしてくれなかったの!」

がしん、と突然音がして船はひときわ大きく揺れました。

〈接岸だ!〉

猿が叫びました。

ほどなくして、ジムザムの手下たちが船室に降りてきます。

「おい、陸地だ。今日は島に一泊するからな」

やったやったと騒ぎ出す動物たちの檻を、手下たちは運びあげていきます。

赤ずきんも檻に入れられたまま、島に運ばれました。

草の生えた、小山のような島でした。右を見ても左を見ても青い海原。こんなところに小さな島があるのが奇跡のようです。

「おーほほ、一日中船に揺られていると気が滅入るからね。骨休め、骨休め」

ジムザムは楽しそうに笑いながら小躍りしています。だけど、動物たちは檻から出してもらえません。

「こんな狭いところに閉じ込められていたんじゃ、骨休めなんてできないじゃない!」

赤ずきんの文句など、ジムザムたちの耳には届いていないようでした。ふてくされて横になった赤ずきんの目に、見慣れない船が見えました。

島をはさんだ反対側に、もう一隻、帆船が投錨しているのです。その船から頭にターバンを巻いた船員たちが降りてきて、ジムザムたち同様、体を休めているのでした。海の中にぽつりと浮かぶようにあるこの島は、長い船旅をする者たちにとって砂漠のオアシスのようなものなのでしょう。

「おーほほ、手下ども。コーヒーを飲もう。焚火をおこせ」

ジムザムが命じると、手下の一人が薪を運んできて火をおこしました。ぱちぱちと燃える火に、ポットがかけられます。

「いい気なもんだわ」

赤ずきんがつぶやいた、そのときです。

ぐらぐら、ぐらぐらり。地べたが揺れます。

「えっ……?」

ざばあと大きな水音を立てて、島全体が浮き上がりました。

「なんだなんだ!」「助けて」

バランスを崩したジムザムの手下たちが一人、二人と海に落ちていきます。

「なんだなんだ、どうしたんだあ!」

慌てふためくジムザム。ぎゃあぎゃあとわめく獣たち。ですが島はお構いなしに、上下にざぶんざぶんと揺れています。

「さ、魚だあ!」

誰かの叫びで、赤ずきんは気づきました。みんなが降り立ったここは、島などではなく、海面に浮かんでのんびりしていた大きな魚の背中なのです。人や獣が乗ったくらいではなんともなかったのですが、背中の上で焚火をされたらさすがに熱くなってしまったのでしょう。

「は、はやく船に戻れ!」

向こうの帆船の乗組員たちも口々に叫びながら船に向かいますが―ざぶん!

魚が海に潜りました。赤ずきんもまた、檻ごと海に沈んでしまいました。

(もうさんざんよ! 助けて!)

海底へと下降していく檻から何とか抜け出そうとしますが、もちろんそんなことはできません。

(ああ、息ができないわ。こんなことなら、ナップに呼ばれてアラビアになんて来るんじゃなかった……

赤ずきんは、気が遠くなっていきました。

なんと体が小さくなってしまった赤ずきん。に放り出されてしまいましたが、この先にどんな事件が待っているのでしょうか……

続きは書籍で!

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