QT映画の“タッチ”を探れ!

クエンティ・タランティーノ独占インタビュー!
 これまでに作ったすべての作品でジャンル映画へのこだわりを表明し、そのこだわりを独自のスタイルへと転化してきたクエンティン・タランティーノ。彼がジャンル映画のなかでもウエスタン、それもマカロニ・ウエスタンをとりわけ愛していることは、ファンなら周知の事実だ。その彼が、初めて真っ正面からウエスタンに挑んだ『ジャンゴ 繋がれざる者』のストーリーは、意外なことに東京で生まれたものだった!
「奴隷を扱った映画をジャンル映画のように作りたいってアイデアは、少なくとも10年間はもっていたよ」とQT。「奴隷のリアリティを扱いながらも歴史的な映画じゃなく、マカロニ・ウエスタンのように作りたいと思ってた。それは俺がいつもやりたかったことなんだ。でもストーリーはまだなかった。ただ、『Django Unchained』ってタイトルで、奴隷から賞金稼ぎになる男の話になるってことだけはわかってたんだよ。おかしな話だけど、具体的なアイデアが浮かんだのは『イングロリアス・バスターズ』のプレスツアーで東京にいたときのことだ。日本ではマカロニ・ウエスタンのすばらしいサントラをすべて手に入れることができる。俺は山ほど買い込んで、宝の山の中でホクホクしながら聴いていた。そしたら突然、最初のアイデアが浮かんできたんだ。 ストーリーはそれからかなり変わったけど、全体を押し進めるベースはそこで生まれた。実際、映画の冒頭のシーンは東京で書いたんだよ」
 マカロニ・ウエスタンと黒人奴隷の物語。この意表を突くマッチングへとQTを導いたのは、QTが愛してやまないマカロニのマエストロであり、マカロニ界の伝説的ヒーロー、ジャンゴ(『続・荒野の用心棒』)を生んだセルジオ・コルブッチ監督だった。
「俺がマカロニ・ウエスタンの何が好きかって、そのシュールな世界観やオペラ的なクオリティ、容赦ない残虐性に大量のユーモア、クールな音楽……そういうのがすべて混ざり合っているところが好きなんだ。俺はそのとき、コルブッチについての論評を書いていた。書きながらつくづく思っていたんだ、コルブッチの西部は誰の西部よりもシュールで厳しく、残忍なものだってね。それも救いのない風景がずーっと続くんだ。そして、俺は考えた。もし俺がコルブッチみたいな映画を撮るなら? コルブッチ的な西部に置き換えることができるのは……それは断然、南北戦争前の南部だ。あの時代の南部に黒人がいるって状況そのものが、コルブッチ的な厳しさ、シュールな残忍さをなぞっているように思えたからさ。この思いつきは俺をエキサイトさせたね。俺はいままで見られる限りのウエスタンを見てきて、もう見ていないものはないって気がしてた。でも、決まりきったウエスタンのルールを守りながら黒人のキャラクターを中心に据え、南部の奴隷制度を背景にして話を展開させたらすごくおもしろいって考えたんだ。こうなるとウエスタンじゃない、サザンだけどね! そんな映画は見たことがない。いままでウエスタンは必死になって奴隷制度に触れまいとしてきたけど、俺はどうしてもそこを描きたかったんだ。でもその場合、あまり残忍な描写はできない。なぜって、それが現実そのものだからだよ。正直にいうと、当時の現実以上に悪夢的にすることも、シュールにすることも、忌まわしいものにすることもできないと思う。当時は狂っていた。ひどかった。現実とは思えない、まさにシュールだった。当時この国にあった痛みや苦しみは想像を絶するほどのものだったんんだ。でもだからこそ、マカロニ・ウエスタンにするのにぴったりなストーリーだった」
 QTが最初にイメージしていた物語は、奴隷だった男が自由を得て、プランテーションの監督係に復讐するという話だったという。が、東京で歩き始めた物語はやがて復讐劇というよりラブストーリーへと変化していく。
「俺の脚本はたいていそうなんだけど、書いているうちは物語が最終的にどこに行きつくか、完全にはわかっていない。話の流れやキャラクターに応じて書いていくから、ストーリーを決めてしまうのは嫌なんだ。書き進めているとキャラクターたちが自分はこんな人間だと俺に語りかけてくる。それに反応していると、見当もつかない展開が生まれることになるんだよ。今回の脚本の場合、俺はドイツのおとぎ話に影響されたところがある。俺が始めの3分の1くらいまで書き終わったころ、ちょうどオペラの『ニーベルングの指環』が上演されていて、クリストフ(・ヴァルツ)が俺を連れて行ってくれたんだ。俺が見たのは第2日だったんだけど、クリストフは俺に序章と第1日のストーリーを説明してくれたんだ。俺はジャンゴの冒険と、ジークフリートがドラゴンを倒し、ブルームヒルダ(ブリュンヒルデ)を救い出す物語が似ているって気づいたんだ。それでクリストフにこう言った。『第3日の舞台は見られないよ。どういうふうに終わるか知りたくないから』ってね(笑)」
 QTにとってこの物語で重要なのは、これがジャンゴの心の旅を描いている点だという。
「みんなは俺に『これは復讐物語ですか?』って訊いてくる。復讐は物語が進むなかで実現するよ。誰だって奴隷が立ち上がって主人に立ち向かうって話を見るのは好きなものさ。鞭を取り上げて、彼を鞭打ちした相手に鞭を打つ姿を見れば、正しい形のカタルシスが生まれるからね。でも復讐は、ジャンゴが最初から考えていたことではないんだよ。彼はまだ、旅の途中だ。普通の市民になるための旅の途中でヒーローとなり、愛しい女性を救い出す。これこそヒーローの心の旅だ。もしもジャンゴがブルームヒルダのことを気にかけていなかったとしたら、シュルツに同行して自由な仕事をして、多少の金を手に入れてニューヨークに行っていただろうね。または、山に留まって極悪な白人たちを殺していたかも。すべてがもっと、ずっと好転していたに違いないよ。彼にはなんだってできたし、選択肢はよりどりみどりだったんだから。それにも関わらず、彼は再び地獄へと出かけて行く。そして悪に立ち向かい、自分の彼女を救い出すんだ。自分が死ぬことになるかもしれないのにさ。あの当時は、奴隷オーナーがとんでもなく慈悲深い人でない限り、奴隷は結婚することを許されていなかった。オーナーたちは奴隷の間に団結心が生まれるのを好まなかったからだよ。だから奴隷たちは密かに結婚した。でも、彼女があっちに売り払われ、彼はそっちに売り払われ、ってことになったら……、もう終わりだ。見つけようがない。月に送られたのも同然さ。それでもジャンゴは絶対に諦めない。俺は奴隷が主人公のこんなドラマは見たことがなかった。だから、俺の手で映画化しなくちゃって思ったんだ」
レオナルド・ディカプリオ インタビュー
 さすがに彼をアイドル扱いする人はもういないだろう。とはいえレオナルド・ディカプリオ(以下、LD)は映画スターだ。そのLDが『ジャンゴ 繋がれざる者』で演じているのは、これ以上ないほどクレイジーで邪悪でおぞましい農園主、カルヴィン・キャンディ。QTによれば、LDの方から「この役をやりたい」と電話したそうだが、なぜまた?
「この脚本は、映画業界ですっごく話題になっていたんだ。まず惹かれたのはアイデアだよ。クエンティンがこの時代の映画を作りたがっていたのは知ってたけど、それをマカロニ・ウエスタンのスタイルと融合させて描くなんてね。そんなことを考えつけるのはクエンティン・タランティーノだけだ。それに、悪役を演じるってことも魅力だったんだ」
 カルヴィンを演じるのが恐くはなかった?
「自分自身を再発見できない役はつまらない。だから僕は、他人が自分には期待しないようなことをしてきたんだ。それに伴う恐怖はエキサイティングだよ。悪役は、道徳的抑制がないという楽しさがあるしね。カルヴィンって男は恐ろしく、ナルシストで人種差別主義者で、身勝手な野郎。その当時にいた奴隷主の道徳的腐敗すべてをたったひとりですべて含んでいるような人間だ。いかなる点においても、こいつに共感するところはないね!」
 カルヴィン・キャンディは徹底的に悪人ではあるが、QTのキャラクターらしく興味深いディテールに事欠かない。
「彼は歩く矛盾だよ!」とLDはいう。「カルヴィンは黒人を人とさえ思わない、とんでもない人種差別主義者なんだけど、彼の人生における唯一の父親的存在は黒人なんだ。このキャラクターがフランスかぶれなのにフランス語が話せないところも気に入った。彼は退廃的な太陽王、ルイ14世のつもりなのさ」
 こういう腐った白人がかつて実際にいた、歴史的プランテーションで撮影したことは?
「僕らはいくつかのシーンに感情を乱されていたんだけど、ある種のゴーストに囲まれた歴史的な農園にいることで、状況を慎重に扱うことができた。そしてみんなが協力的になるという意味で、非常に癒しとなる経験だったね。ジェイミーやサム(ジャクソン)たち共演者が『当時の真実を語りたいなら最後までとことんやり抜いて、よく見せようとしないことだ』と言ってくれたのは幸運だったよ」
 最近、LDは「しばらく休業する」と宣言。本作の前に2本の主演映画を立て続けに撮っていたとはいえ、そこまで疲れさせたのはカルヴィンという役ではないか、農園に住むゴーストの呪いじゃないのかと心配するファンもいるかもしれない。しかし、QTとの仕事が俳優としてのレオに大きな満足を与えたことは、彼の言葉を聞けば明らかだ。
「セットでのクエンティンには驚かされた。独創的で、才気にあふれ、多彩。監督として俳優がやることに没頭してくれて、100%そこにいてくれる。全シーンを綿密にプランしている一方で、俳優が新しいアイデアを実現するためにシーンをその場で書き直すこともできる人なんだ。自分のすることに自分でスタンプを押すようなユニークさがあって、こういう難しい主題でもユーモアの瞬間をたっぷり盛り込める。こんな本物の映画監督がまだいるっていうのはうれしいもの。彼が大胆である限り、俳優はつねに彼のキャラクターに渾身の力を注ぐことになる。まったくもって、『ジャンゴ 繋がれざる者』に出演できたのはすばらしい機会だったよ!」
QT全作品徹底ガイド
「ジャンゴ 繋がれざる者」魔法使いが活躍する痛快なおとぎ話。
 2時間45分という長尺だが、とてつもなくおもしろいアクション娯楽作に仕上がっている。映画の外装はマカロニ・ウエスタンだが、中味はおとぎ話にさえ見えるラヴストーリーになっているのがいい。  おとぎ話によく登場する魔法使いは、ここではクリストフ・ヴァルツ演じるドイツ系移民の賞金稼ぎドクター・キング・シュルツだろう。一方の主人公の名は、セルジオ・コルブッチの『続・荒野の用心棒』(66年) から頂戴したジャンゴだ。鎖で繋がれていた彼は、キング・シュルツの"魔法"で奴隷から解放される。やがて早撃ちの賞金稼ぎへと成長するのだが、パートナーシップを組んだ2人は、指名手配された無法者の白人を次々と成敗するという旅を続ける。西欧の神話による登場する魔法使いが主人公の援助者になるように、シュルツは主人公ジャンゴに、ありとあらゆる知恵を授けていく。おまけにシュルツは、ジャンゴとはなればなれになった妻ブルームヒルダが、大農園主カルヴィン・キャンディ(レオナルド・ディカプリオ)のもとにいるとわかると、彼に立ち向かい、夫婦のふたりをあの手この手で引き合わせようとするのだ。  この奴隷主であるカルヴィン、最強のマンディンゴ・ファイターにご執心で、リチャード・フライシャーの『マンディンゴ』(75年) のごとく、奴隷たちを剣闘士に仕立て殺し合わせ、見せ物にしている人非人で、ジャンゴたちはそこを突破口にしようと企むのだ。  QTは映画が忌避してきた「奴隷制」というサブテキストを逆手に取り、「復讐劇」というより「ヒーローが愛する女を奪還する」という強固なラヴストーリー然とした1本の強力な筋で、観客の目をとことん惹きつけるのだ。  舞台は、黒人への偏見が強い南北戦争の2年前の1958年ディープサウス。もちろん、『イングロリアス・バスターズ』でヒトラーやゲッペルスらナチス高官を史実より数年早く映画館で焼き殺したQTであるから、歴史的正確性について目くじらを立てる必要はない。スティーヴン・スピルバーグの『リンカーン』で2時間30分かかって描いた奴隷解放の史実を寓話のようにねじ曲げている、たくましいまでのQTの物語的創造力に平伏するしかない。  ルイス・バカロフ作曲の『続・荒野の用心棒』の主題歌〈ジャンゴ〉から、セルジオ・レオーネ作曲の『黄金の棺』の〈ウン・モニュメント〉まで、映画全編マカロニ・ウエスタンの名曲が次から次に流れ、オペラのような贅沢さだ。それに負けないぐらい、ガンアクションの噴き出る血しぶきの量も半端なく、耳で目で、ぞんぶんに楽しませてくれる。
「キル・ビルVol.1」映画の愉しさが詰め込まれたアクション笑劇。  日本を舞台にした『キル・ビルVol.1』は、痛快バイオレンス・アクションだ。何しろ、QTが前作『ジャッキー・ブラウン』から6年もの空白期間が空いてしまったから、その間にQTが観まくったありとあらゆるジャンル映画──日本のチャンバラ時代劇、実録ヤクザ映画から、香港のカンフー映画、香港のノワール映画、はてはイタリアのホラー(ジャーロ)まで、その映画的要素をごちゃ混ぜにした痛快アクション巨編に仕上がっている。
 本作の冒頭には、日本の深作欣二監督への献辞がある(日本公開バージョンのみ)。そこからイタリアテーストだったり、香港テーストだったり、日本テーストだったりと各国の香りを過剰にミックスさせ、もう空いた口が塞がらない、という表現が妥当な、疾風怒濤のアクションを展開させている。クライマックスの日本の料亭・青葉屋における主人公ザ・ブライド(ユマ・サーマン)のド派手な立ち回りまで、一気呵成に見せきるのだから、QTの娯楽映画精神はアッパレとしかいえない。
 ヒロインのザ・ブライドは、『キル・ビルVol.1』の代名詞的存在にすらなっている、ブルース・リーの遺作『死亡遊戯』でブルースが着た黄×黒のトラックスーツ姿だった。おまけに、彼女が履いていたオニツカタイガーのスニーカーも黄×黒で、絶妙なコンビネーションだった。
 対するブラックマスク集団の「クレイジー88」が、これまたブルース・リーが『グリーン・ホーネット』のカトー役で演じたカトー(ケイトー)マスクと運転手の制服姿で登場しているのが、おもしろい。この戦いの図式はいわば「ブルース・リー対ブルース・リー」であり、この戦いには、ご丁寧にも『グリーン・ホーネット』の音楽がかぶさるという過剰さ。もはや笑いが止まらないのである。
 そしてラストは、ザ・ブライドと宿敵・オーレン石井(ルーシー・リュー)による日本刀での決闘。それが、梶芽衣子主演の東映映画『修羅雪姫』の様式美をそっくりそのまま真似た雪の庭園での戦いへとなだれ込むという荒唐無稽さ。その美しいシーンに、至極日本的な、昭和歌謡曲のような梶芽衣子が歌う『修羅雪姫』主題歌「修羅の花」が流れるおかしさに笑うしかないのである。
 この過剰さこそが、娯楽映画精神の限りをつくしたQT映画の真骨頂である。「これでもかこれでもか」と映画的な愉しさを詰め込むQTのストーリーテリングには、いつもながら平伏するしかないのである。

 海外のストリートシーンで、スポーツファッションブランド「オニツカタイガー(Onitsuka Tiger)」はすごい人気だ。1950〜70年代のレトロな競技用シューズをファッションアイテムとして現代に甦らせ、世界で人気の「クール・ジャパン」系アイテムとして成功を収めている。それに拍車をかけたのが、クエンティン・タランティーノ監督が手がけたアクション映画『キル・ビル Vol.1』(2003年)。日本を舞台に、日本刀(サムライ・スウォード)で派手な殺陣を演じるユマ・サーマンは、黄色いオニツカタイガーのスニーカーを履いていた。香港のノワール映画やカンフー映画、日本のヤクザ映画へのオマージュを好む同監督が、本作でもブルース・リーが遺作『死亡遊戯』(1978年)で履いていた黄色いスニーカーをヒントに、オニツカタイガーの黄色いシューズを採用したことで話題になった。これはオニツカタイガーが宣伝のために持ちかけた話ではなく、タランティーノ監督自らがブルース・リーに最大の敬意を表して使ったそうだ。
 オニツカタイガーのブランドのルーツは、今から60年以上前にさかのぼる。戦後間もない1949年、日本再興を強く願った鬼塚喜八郎(1918〜2007年)は、スポーツによる健全な青少年の育成を目的にスポーツシューズの製造販売を手がける「鬼塚株式会社」を創業。1956年のメルボルン五輪では日本選手団用のトレーニングシューズに採用され、1964年東京五輪ではオニツカタイガーを履いた多くの選手がメダルを獲得した。1966年には現在のオニツカタイガーのシューズに受け継がれている4本ラインのストライプを初めて採用。1968年メキシコ五輪では日本選手団が「メキシコ 66」の原型になっている「リンバー」を履いた。そして90年代後半に入るとレトロスニーカーが大流行。2002年、ファッションマインドを融合させ「オニツカタイガー」ブランドを復活させると、世界のストリートファッションにおいて爆発的な人気を博した。『キル・ビル』でユマ・サーマンが履いていた〈TAI-CHI〉は、世界限定3,400足で販売したがあっという間に完売したという。QTによって人気に火がついた「オニツカタイガー」は日本のポップカルチャーの代名詞として、世界的な人気スニーカーとなったのだ。

QT映画の音楽ガイド
QT映画の音楽ガイド
映画なんでもランキング
映画なんでもランキング
新明解QT事典
新明解QT事典
ムックページへ