Googleの検索欄に自分の名前を入力したことはあるだろうか? おそらく一定数はいると思う。姓名判断サイトしか出てこなかったり、赤の他人と名前が被っているかもしれないものの、自分が過去に経験した出来事の痕跡が表示されるひともきっといる。それを目にして、懐かしさや恥ずかしさ、あるいは誇らしさを抱くわけだが──どうして私たちは、自分の名前でついつい検索したくなってしまうのだろう?
その心理に迫った作品こそが、『エゴサ厳禁』だ。物語は大学生の深山遥香が、探偵の久我原廉に「アイコレクター」の正体を暴くよう依頼するところからはじまる。「アイコレクター」は犯罪者の目玉をくりぬいて惨殺する事件を繰り返し起こしている殺人犯で、以前に収賄容疑で逮捕されていた遥香の父親も、被害者のひとり。そして遥香の自宅にも、犯人からと思しき脅迫めいたポストカードが送られてきたのだった。
本作は著者の過去作『スワイプ厳禁』と同様、スマホを模したサイズの書籍となっており、遥香の手にするスマホの画面が読者にも共有される。そのおかげで「アイコレクタ―」の正体を追う捜査パートは、
まるで自分が遥香になったかのように臨場感を味わえる。遥香のスマホカメラが映している光景に違和感がないか、小説を読みながら自ら捜査する感覚は新鮮だ。
そして本作特有の没入感は、遥香になりすぎるあまり、自分を見失うような瞬間すら与える──そんなとき、自分を見つけるためのいい方法がある。それこそが、エゴサだ。自分の名前で検索して過去の痕跡が出てきたとき、誰かが自分に言及していたとき、自分はこの世界に存在しているのだと確認できる。それはときに安心にもつながるだろう。自分の名前の検索は、自らの生を証明し、肯定する手段でもあるのだ。
しかし、エゴサは反応欲しさによる自己主張にも結びつき、かえって自分を見失うことにもなる。あなたも自分を見失わないよう慎重になりながら、衝撃的な本作の結末を見届けてほしい。
(ブックレビュー:「WEB小説推理」2026年7月号より)
さまざまなタイプの歴史時代小説を執筆している永井紗耶子が、新たなジャンルに挑戦した。時代ホラーだ。かつて短篇の時代ホラーを発表したことがあったが、本格的な取り組みは、本書が初めてといっていい。
物語の始まりは明治三十九年だ。帝大の学生で、銀座にある新聞社でアルバイトをしている斎木啓吾には、特別な能力があった。霊が視えて話すことができるのだ。ある日、下宿に帰る途中、侍の霊に取り憑かれた啓吾。その侍の髑髏を掘り起こし、下宿に持ち帰ったことから警察に捕まり、牢に入れられた。そんな啓吾を助けてくれたのが、子爵家の次男の連翹寺正周だ。怪異やスピリチュアルなことが大好きな正周は、啓吾の能力を知ってから、彼を腹心の友と呼んでいた。上野戦争の頃に斬り殺されたらしい侍の霊の心残りを果たすため、啓吾と正周は動き出す。
というのが第一話「ロマン髑髏」の粗筋だ。霊とコンタクトの取れる啓吾。霊感のたぐいはまったくないが、身分と行動力で必要なことを調べる正周。このコンビの活躍が、物語の読みどころだ。また、ストーリー展開にミステリー的な要素があり、意外な事実も明らかになる。しかもそれが、温かな味わいへと繋がっているのだ。以後、猫に取り憑いた元花魁の霊の願い、浅草十二階に展示された男爵令嬢の写真の怪異、啓吾と正周が初めて出会ったときのエピソードと、一話ごとに内容が工夫されている。だからページを繰る手が止まらない。さらに第二話「祈り猫」で、元花魁の願いは叶うものの、ある人物の行方が分からないまま終わる。この人物が各話を貫く横糸になっており、読者の興味を惹きつけるのだ。第五話「生きていた令嬢」では、十年前に行方不明になった炭鉱王の娘が、生きて帰ってきたことから巻き起こる騒動に、啓吾と正周が巻き込まれる。騒動を通じて露わになるのは、人の心の醜さや、やりきれなさだ。しかし一方で、人の心の繋がりに希望も感じられる。そこが本書の魅力になっているのだ。シリーズ化も決定しているとのことなので、今後の展開を大いに期待したい。
(ブックレビュー:「WEB小説推理」2026年7月号より)
二〇一七年に「ベアトリーチェ・チェンチの肖像」で第三十九回小説推理新人賞奨励賞を受賞、二〇一九年に『深淵の怪物』で小説家デビューした木江恭にとって、新刊『暗夜に君と星をたどる』は三冊目の著書になる。全六話から成る連作短篇集だ。
第一話「砂の国の女王が死んだ」は、女子高生の「わたし」が、図書館でクラスメイトの海瀬由埜に声をかけられるところから始まる。由埜は「わたし」が持参した原稿に興味があるらしい。それは、数カ月前に死んだ「わたし」の母が執筆した短篇小説だった。
ここで、その原稿「砂の国の女王が死んだ」が挿入される。架空の国が舞台の暗鬱なおとぎ話である。だが由埜は、「あのお話、続きがあるよ」と「わたし」に告げ、原稿の本当の読み方と、そこに籠められた母の真意を解き明かす。著者の前作『鬼の話を聞かせてください』も安楽椅子探偵ものの連作だったが、この作品もその点は共通する。
こうして親しくなった「わたし」と由埜は、「わたし」の母が遺した数篇の短篇小説に秘められたメッセージを紐解いてゆく。だがその結果は、第一話のようにすっきりしたものになるとは限らず、「わたし」と由埜の関係性にも、話が進むにつれて変化が生じてくる。特に第五話「鬼神王の戦女神」は、それまで伏せられていた事実が明かされるなど波乱の連続であり、一体どうなってしまうのかとハラハラさせられる。ここまで来れば、連作の締めくくりである最終話「北極星の道しるべ」がどう着地するのか、気にならない読者はいない筈だ。
全六話がすべて「作中作ミステリ」という凝った構成の連作である本書は、テキストに籠められた書き手の真意を解読することの面白さを堪能させると同時に、二人の女性の揺れ動く友情の機微を描いた小説としても秀逸である。ダークな味わいに満ちた『鬼の話を聞かせてください』とはまた異なる著者の側面が窺える一冊としてお薦めしたい。
(ブックレビュー:「WEB小説推理」2026年7月号より)
読み終わった今、むしょうに「私も短歌を詠んでみたい!」という思いにかられている。これまでも評判の歌集を読む度に私も! と奮い立ってはセンスのなさに挫折するの繰り返しだったのだが、本書『彼の空のユンカース』はそれら歌集ともまた違って、短歌を「詠む」「味わう」という行為そのものの魅力と奥深さをストレートに私に伝えてきたのだ。
本書は二篇からなる中編集である。
表題作は、曽祖母の遺品にあった手書きの歌集から物語が始まる。高校生の雅美はその作者を探す過程で思いがけず昔のできごとや曽祖母の青春に触れることになる。ミステリとしての興味もさることながら、会ったこともない人の、行ったこともない場所の、はるか八十年も前の思いが三十一文字にまとめられ、今の高校生たちに届く様子に胸が震えた。それを彼女たちが自分の持てる精一杯の想像力と心で受け止め、咀嚼しようとする様子がまた素晴らしいのだ。
もうひとつの「ベッドひとつぶんの私たち」は、低置胎盤で入院することになった主人公が、ひょんなことから同室の妊婦たちと歌会をすることになるという話だ。他者が作った歌を味わい、こういう意味かなと想像することで自分の世界も広がる。その解釈が違っていても、そこには「そう受け止めた自分」がいるという、自己の輪郭が浮かび上がるのだ。(それとは別に、真理さんの一件には目頭が熱くなり、最後の羽日四ちゃんには快哉を叫んだぞ。最高だ!)
短歌とは、言葉とは、どこまでも自由でしなやかで何ものにも縛られないものなのだと改めて感じる。ベッドで寝たきりでも、戦地でも、頭と心さえあれば言葉の海の中で人は自由に泳げるのだ。日常の小さなことに目を向け、それを慈しみ、表現するために心を砕く。詠むたびに、読むたびに、風景の、できごとの、解像度が上がっていくような感覚が本書にはある。
小説としての面白さと短歌の魅力が互いを支えながら融合している。著者のあとがきも含め必読の一冊。
(ブックレビュー:「WEB小説推理」2026年7月号より)
昨年『愚道一休』で渡辺淳一文学賞と新田次郎文学賞を受賞した木下昌輝の新作は、娘の松姫が亡父・武田信玄は何者だったかに迫る歴史ミステリーである。
松姫は織田信長の嫡男・信忠と婚約中だが、なぜか信玄は信長の同盟者・徳川家康を攻め陣中で没した。武田家を継いだ勝頼は、信長に追い詰められていく。
勝頼は松姫に、信玄は五種の封印紐を五人の家臣に渡し悪行の真実を語ったが、その一人は自分だという。松姫は、元能役者で物資を管理する蔵前衆をしている藤十郎と封印紐を持つ残りの四人を捜し始める。
信玄の娘らしく馬術と武術が得意な松姫は、武田家に恨みを抱き道鬼坊ら凄腕の忍びを率いる長岌に執拗に狙われ、落日の武田家を見限り離反した敵味方不明の武士や落ち武者狩りにも行く手を阻まれる。封印紐を五つ集めると信玄の宝の在処が分かるとの噂が流れ有力大名も加わる争奪戦は熾烈を極め、息詰まるサスペンスと派手なアクションには引き込まれるだろう。
松姫が調べる信玄の悪行は、若い頃に北条勢に対し城を捨て逃げたこと、父の信虎を追放したこと、諏訪家を攻め敵将の娘を側室にしたこと(この側室が、勝頼の母)、信長を裏切り戦を仕掛けたこと、勝頼を嫡男の信勝が家を継ぐまでの陣代扱いしたことの五つ。
松姫の調査で、有名な逸話の裏側が明らかになるので、歴史に詳しい読者ほど驚きが大きいはずだ。
山国の甲斐を治める武田家は、常に塩の入手に苦労していた。太平洋沿岸部を支配する今川家が国境を封鎖すると、信濃、越後などの商人が塩の価格を吊り上げ、武田家でさえ塩を手に入れるのが難しくなる。この状況は、ホルムズ海峡の封鎖で石油とその関連商品が値上がりし生活に影響が出始めている現代日本と重なるだけに、生々しく感じられるのではないか。
やがて信玄は、欲望を充足させるために戦争をする社会、家臣の意識を変えようとしたことが判明。松姫は、信玄以前の武田家と同じ方針の信長と対峙する。この構図は改革の難しさを突き付けているのである。
(ブックレビュー:「WEB小説推理」2026年7月号より)
最近のエンターテインメントは、アクションはあっても、バイオレンスが足りない。そのことを残念に思っている人に、お薦めしたいのが本書だ。濃厚なバイオレンスを、たっぷりと摂取できるのである。
物語は平成二十二年から始まる。平成十四年に起きた大事件の被告となった岡谷組の二代目組長・不破隆次が、判決を下された法廷で大暴れをする。最初から血なまぐさい暴力シーンが披露され、バイオレンス好きの期待は高まっていく。
その序章が終わると、時代は昭和四十五年まで遡る。癌で死んだ母親の有紀子から、父親が新宿の顔役の王大偉だと聞いて育った隆次。父を頼って、王大偉の城というべき、歌舞伎町の『新宿ブライトネスビル』にやってきた。このとき彼は十五歳。幼い頃から各地を転々とし、土地の子供たちからいじめられており、石を投げられて左目の視力を失っていた。もっとも負けん気の強い隆次は、いつも相手にやり返している。
以後、異母兄で岡谷組のヤクザの近藤傑志の世話になった隆次は、王大偉に協力する岡谷組の一員になり、さらには自分を受け入れてくれた王一族のために、戦いを続けるのであった。
昭和四十五年、五十三年、六十二年、平成八年……と、物語は時間を飛ばしながら進行する。チンピラ・ヤクザから岡谷組の二代目になる隆次の半生と暴力の軌跡が、各時代のエピソードによって描かれていく。これが滅法面白い。その生い立ちから、過剰なまでに血族を守ろうとする隆次の行動の選択肢には、常に暴力がある。商売の才覚も持ちながら、殺人も辞さない隆次の肖像に、バイオレンス好きは、強く惹きつけられてしまうのだ。
一方、時代によって変わっていく新宿という街と、人々の関係性も、大きな読みどころ。随所に意外な展開もあり、ストーリーの興趣も抜群だ。たとえ時代遅れになろうと、己を貫いた隆次の姿は、血のように真っ赤な輝きを放っている。
(ブックレビュー:「WEB小説推理」2026年6月号より)
正直、タイトルを見た時は興味ゼロどころかマイナスに感じた。数ページ読み進めてみた段階でも、ネガティブな気持ちしか湧かなかった。
六十歳以上の女性を対象にした性風俗だと? サービスを提供するのがピンクの髪をした、瞠目するほど美しい青年だと? 彼の名前が「櫻」ってことは、六十歳以上の女性は「枯れ枝」ってことか? 設定上性欲があったり恋愛したがりだったりの高齢女性が出てくるのは理解できるけれど、世の中そういう女性ばかりだと思うなよ? 「女はいつまでも女でいたいものだ」とか「女にだって性欲はある」とか「孤独な高齢女性が美青年との交流で人生の彩りを取り戻す」なんて陳腐な物語だったらがっかりだからな? デビュー作『君の顔では泣けない』からずっと、君嶋彼方はいいぞとあちこちで吹聴してきたのに、がっかりさせんなよ? などと思った(私って何様)。
気づけば、そんな先走った不満や危惧や憤怒はすっかり消え去って、一気に読み終えていた。いやあ面白かった! 猛スピードの手のひら返しである。
第一章「恋の如く」は、一人暮らしの河津洋子が自宅に櫻を迎えいれる場面から始まる。櫻は「よろしくお願いしまーす!」とはきはき挨拶するような軽いノリの青年だ。そして二人の会話から少しずつ洋子の事情が明かされて……という、しごくオーソドックスな形。が、第二章以降は私の浅はかな先入観を気持ちよく裏切っていった。登場するのは、恋やセックスがしたい老女ばかりではなかった。仕事に誇りを持つ俳優が登場する話は映画「喝采」(二〇二四年版)を彷彿させたし、高齢者用施設から依頼がくる話はホワイダニット的謎解きの趣があるし、奇妙な母娘の話はホラーみがあり、女性同士の友情が浮かび上がる話は胸熱。櫻もミステリアスな美青年ではなく、ちゃんと感情のある人間として描かれる。そんな彼が老境を迎えた女性たちのドラマを見守っていく連作であった。私のようにタイトルやあらすじからネガティブに感じた人も、君嶋彼方を信じて、安心してご覧あれ。
(ブックレビュー:「WEB小説推理」2026年6月号より)
田原鳴海、四十五歳。五年前から会員制の高級ジムで清掃の仕事をしている。ジムの入会金は鳴海の年収より高い。「金持ちはランニングマシーンの上で走る。わたしは交通費を浮かせるため、ふた駅分の距離を歩いて通勤する」。一つ年上の鳴海の夫・暖は自分が美しいことを「ひけらかしもしない。へりくだらない。威圧しない」。でも、そのせいで男社会ではうまくやれない。人間関係が原因で何度も転職をしているため、収入は安定しない。暮らしに余裕はない。
ある夜、鳴海の携帯がなる。「鳴海さんの携帯でよろしいですか?」と若い男の声で聞かれ、「そうですが」と答えた鳴海に、その声は続ける「あの、母がそちらに行ってませんか?」。男が名乗った南雲栄輝という名は、鳴海に覚えがあるものだった。二十年前、二度と会わない、と言ったのは、栄輝の母親である彌栄子で、だから「会いにくるわけないでしょう」と返した鳴海に栄輝は言う。「泥棒でしょ、あなたは。だから取り返しにいったのかと思ったんですよ」と。かつて、鳴海は栄輝の子守りとして、南雲家で働いていたことがあった。
栄輝が口にした「泥棒」という言葉のわけは、実際に本書を読まれたい。なぜ、彌栄子が二度と会わないと口にしたのか、も。
世の中は不公平で不条理で、気づきたくなくても格差は歴然とあって、だから、あちら側とこちら側、と気持ちに線を引いていた鳴海が、彌栄子と出会ったことで変わっていくのがいい。彌栄子もまた、鳴海によって本来の自分を取り戻していく。彌栄子が企画した「パジャマパーティー」の夜の彌栄子と鳴海のシーンは、その後に起こる〝事件〟も相まって、奇跡のように美しい。
物語のラスト、「わたしたちは踊れる」「いつだって踊り出せる。わたしたち自身がその気になりさえすれば、どこででも、誰の前でも」という鳴海の言葉が、祝福のように読者の胸に降りそそぐ。
(ブックレビュー:「WEB小説推理」2026年5月号より)
ロープウェーの故障事故により、ゴンドラの中に乗客たちが閉じ込められた。しかしこれは、物語のプロローグ。本書は、それによりその後の日常が揺らぐようになった乗客たちを主人公にした連作長篇である。
作者は、ゴンドラが宙ぶらりんになった現場に、地方テレビ局の新人アナウンサーの野呂が駆けつける場面から物語をスタートさせる。上手いと思ったのは、野呂のリポートにより、事故の概要を説明していること。それにより物語の大切な設定を、読者はすんなりと理解することができるのだ。
このプロローグを経て、事故の当事者たちの、その後の物語となる。第一章の主人公は、看護師の水原里衣子。事故で怪我をしたときに介抱してくれた咲哉と同棲している。しかし咲哉は料理以外のことはせず、ヒモ生活を満喫していた。そのことを里衣子から聞いた友人の環は、咲哉を見極めようとするのだが……。
読んでいるうちに分かってくるが、里衣子はダメンズ好きのようだ。一方で、環が里衣子に執着しているような雰囲気もある。咲哉と環の間で揺れる里衣子と、同棲の顛末が読みどころ。宙ぶらりんな人生も、結局はどこかに着くのだと、苦笑いを浮かべてしまった。
その後、登場するのは以下の乗客たち。訳ありの老人姉弟。三年前に妻子が家を出てからひとり暮らしをしている男性と、会社を辞めたことを家族に隠している男性。タイプの違う二組の家族。事故でパニックになり、人が多いところに出かけられなくなった女子高生と、各章でそれぞれの人生が描かれていく。落ち着かない日常に翻弄される人々を見つめる作者の視線は冷静だが優しい。第四章に登場する二組の家族の話は切ないが、エピローグで救いが感じられるようになっているから、気持ちよく本を閉じることができるのだ。
また、里衣子と咲哉の喧嘩の原因のひとつとなったペンダントを始め、幾つかの小道具が話を横断して巧みに使われている。こうしたテクニカルな部分も、本書の読みどころになっているのだ。
(ブックレビュー:「WEB小説推理」2026年5月号より)
ロープウェーの故障事故により、ゴンドラの中に乗客たちが閉じ込められた。しかしこれは、物語のプロローグ。本書は、それによりその後の日常が揺らぐようになった乗客たちを主人公にした連作長篇である。
作者は、ゴンドラが宙ぶらりんになった現場に、地方テレビ局の新人アナウンサーの野呂が駆けつける場面から物語をスタートさせる。上手いと思ったのは、野呂のリポートにより、事故の概要を説明していること。それにより物語の大切な設定を、読者はすんなりと理解することができるのだ。
このプロローグを経て、事故の当事者たちの、その後の物語となる。第一章の主人公は、看護師の水原里衣子。事故で怪我をしたときに介抱してくれた咲哉と同棲している。しかし咲哉は料理以外のことはせず、ヒモ生活を満喫していた。そのことを里衣子から聞いた友人の環は、咲哉を見極めようとするのだが……。
読んでいるうちに分かってくるが、里衣子はダメンズ好きのようだ。一方で、環が里衣子に執着しているような雰囲気もある。咲哉と環の間で揺れる里衣子と、同棲の顛末が読みどころ。宙ぶらりんな人生も、結局はどこかに着くのだと、苦笑いを浮かべてしまった。
その後、登場するのは以下の乗客たち。訳ありの老人姉弟。三年前に妻子が家を出てからひとり暮らしをしている男性と、会社を辞めたことを家族に隠している男性。タイプの違う二組の家族。事故でパニックになり、人が多いところに出かけられなくなった女子高生と、各章でそれぞれの人生が描かれていく。落ち着かない日常に翻弄される人々を見つめる作者の視線は冷静だが優しい。第四章に登場する二組の家族の話は切ないが、エピローグで救いが感じられるようになっているから、気持ちよく本を閉じることができるのだ。
また、里衣子と咲哉の喧嘩の原因のひとつとなったペンダントを始め、幾つかの小道具が話を横断して巧みに使われている。こうしたテクニカルな部分も、本書の読みどころになっているのだ。
(ブックレビュー:「WEB小説推理」2026年5月号より)
数多いる動物のなかでも、豚はどこか軽んじられていないだろうか? 豚に真珠、豚もおだてりゃ木に登る……改めてことわざや慣用句を並べると、そのどれもが豚をネガティブに扱うことで成立している。しかし、無自覚に何かを蔑ろにする雰囲気は「これは見下してもいいものだ」という刷り込みにつながり、呪いとして機能するときがある。
塩見香子も、呪いをかけられている人間だ。玉雪出版が発行する少女漫画雑誌「月刊ペルル」の編集部に属する彼女は〈何があっても怒らない仏の塩見さん〉として働いている。高校時代に仲のよかった宮原大聖と同窓会で再会し、隣人の菊田春木がアルバイトとして編集部に勤務するようになるなど、立て続けに少女漫画的なイベントに遭遇する彼女だったが――呪いが順風満帆なロマンスを阻む。香子は怒ると「ブタ鼻」になってしまう呪いをかけられていたのだった。
香子にかけられた呪いの根幹には二つの刷り込みがある。ブタ鼻を醜く思う感情、そして怒りを醜く思う感情だ。他者とのかかわりで価値観に違いがある以上、怒りたいときはどうしてもある。だが、喜怒哀楽のなかでも怒りは醜いものとされがちだ。怒らないのではなく、怒れなくなった香子が苦しんでいる呪いは、私たちにとっても決して他人事ではない。
では、怒りを醜く思う呪いを解く方法はあるのか? 実のところ、ある。登山をする春木が自身の暮らす世界を〈下界〉と捉えているように、他者との干渉を天上人のごとく極力避けて生きれば、そもそも怒りはうまれない。しかしそれは、喜怒哀楽を「怒」だけでなく、丸ごと蔑ろにするのと同義だ。蔑ろにする範囲を広げただけでは、根本的な解決にはならない。
香子は二人の男性と接する過程で、かけられた呪いと向き合うようになる。ブタ鼻も怒りもなくせないならば、いかにして同居していくか。それは呪いの根源にあるネガティブな刷り込みを、少しでもポジティブに引き受けなおす営みでもある。読み終えたときには、かかっていた呪いが解かれているはずだ。
(ブックレビュー:「WEB小説推理」2026年4月号より)
見た目はぽっちゃり丸顔のほほんおばちゃん、その正体は凄腕の鮨職人。全国各地の飲食店に間借りして鮨屋「鮨まさよ」を開き、そこで出会った悩める人々の胃袋と心を満たしていくシリーズの第三弾だ。
今回は三篇が収録されている。料理学校でフレンチを学んでいるがそのフレンチが肌に合わず、雅代に弟子入りしたいと考える女子学生・玲菜。山形県酒田市で実家が営むラーメン屋が、あるきっかけで暴走していることを知って悩む大学四年生の息子・謙吾。父が急死し、祖父の代からの鮨屋をどうするか岐路に立たされるアパレル勤務の娘・野乃花。
これまで第一巻では経営者や経営者候補の物語、第二巻では客の物語が中心に展開されてきた。そして今回は後継者のターンだ。それも、最初から後継者の話というわけではなく、主人公はどれも別の進路に向かっていた若者たちだ。彼女たちが何に出会い、何を感じ、何を考え、何を決意するのか。その過程に本書の読みどころがある。
そんななか登場するのが雅代だ。フレンチよりも鮨、雅代さんみたいなカッコイイ職人になる、と張り切る玲菜に雅代が課した条件。父の弟子が独立して開いたラーメン屋が好評で、その代わりのように父の店が凋落していく様子を目の当たりにした謙吾に、雅代がかけた言葉。そして他人に任せた店が父の頃の店とはまったく違うものに変化したことに憤る野乃花に、雅代が出した提案と手助け。
最終的に決めるのは若者たちだが、雅代は彼らをそっと後押しする。それはただの親切ではなく、自分もまたそうやって多くの先達に導かれ、応援され、背中を押されて今日があるからだ。本書にはそんな雅代の思いが滲み出ている。
受け継がれていくのは店や味だけではない。助けられ、導かれ、応援された者が、また次の世代の誰かを助け、導き、応援するのだ。そんな恩送りでこの世はできている。それを思い出させる第三巻である。
(ブックレビュー:「WEB小説推理」2026年4月号より)
二〇二四年に刊行された大倉崇裕の『犬は知っている』を読んだとき、一冊で終わりにするには、もったいない設定だと思った。なにしろ物語の主役が、ゴールデン・レトリバーのピーボと、そのハンドラーである笠門達也巡査部長なのだ。ちなみにピーボは、患者の恐怖や苦痛などを和らげるため、警察病院に常勤するファシリティドッグである。
しかしピーボには裏の任務があった。入院している余命僅かな囚人患者の心を開かせ、事件の秘密を笠門が聞き出せるようにしていたのである。ファシリティドッグという存在を、この作品で初めて知り、面白い存在に目を付けたものだと感心。もっと読みたい気持ちになった。だから、ピーボと笠門が再登場した、シリーズ第二弾の刊行が嬉しい。全四話が収録されているが、どれも優れた内容だ。
第一話は、心不全で末期の囚人患者がピーボに漏らした、断片的な言葉を笠門が調べるうちに、過去の殺人事件が浮上してくる。途中で恐るべき犯人が明らかになり、倒叙ミステリーのような笠門と犯人の対話による探り合いがあるのが楽しい。
なんて思っていたら、さらに物語は予想外の方向に転がっていく。ピーボの態度が事件解決の糸口になったり、お馴染みの脇役を絡めたりと、シリーズ物としての魅力も堪能できる。冒頭を飾るに相応しい秀作だ。
以後、第二話と第三話も、囚人患者の漏らした言葉から、笠門が過去の事件を掘り起こしていく。そして最終話は、いままでとは違うパターンで、笠門が殺人事件を追うことになる。
なるほど、同じパターンが続いて読者が飽きることを嫌い、目先を変えてきたかと考えたら、終盤でパターンの変化自体が作者の企みであることが判明。これにはやられた。もちろんピーボも活躍。面白いミステリーを探している人、作者のファン、そして愛犬家のみならず誰もが満足できるシリーズだ。できればこれからも、書き続けてほしいものである。
(ブックレビュー:『WEB小説推理』2026年3月号より)
仕事やプライベートで初めて会った相手と、なかなか話が合わないときがある。逆に気が合うにもかかわらず、何らかの事情で会えない相手がいる。そう思うと、現実で親密な人間関係を結ぶのは難しい。この広い地球で会うことができた、その偶然を経たうえで、気が合わなければいけないのだから。「会う」と「合う」、二つの「あう」を達成できるのは、奇跡といってもいい。
日比谷純の恋人、北條あゆみが山奥で発見されたのは、同棲をはじめて二年が経ったころ。純が会社の企画コンペのコンテを彼女に見せて、コンテ中に書かれている〈いま合いたい〉の「合う」は誤字だと指摘された、その翌日だった。純はあゆみのいる病院にすぐさま駆けつけるものの、あゆみは記憶を失っていると医師から告げられる。
記憶を失ってしまった恋人が、もういちど自分を好きになることはあるのだろうか――ふたたび気が「合う」ことはできるのだろうか? 純は記憶を失ったあゆみとの交流を通して、ふたたび関係を築いていく。鍵となるのはあゆみが撮っていた、純と二人の思い出を記録した動画だ。純とあゆみは動画の場所を訪れて、当時のデートコースをなるべく再現することで、記憶を取り戻すための手掛かりを掴もうとする。
ここで二人が頼る動画は、親密な関係を築いてきた記録といえるだろう。しかし、それだけではない。二人にとって動画とは、過去の自分と会うための手段でもあるのだ。そして二人は過去の自分たちがとった行動をなぞって、合うかどうかを確かめていく。それは会う/合うを通じて過去の自分を見つめなおし、親密な関係を結ぼうとする行為でもあるだろう。純はあゆみと関係を築いていくだけでなく、過去に囚われた自分とも向き合い、成長していくのだ。
また、この物語は二人が会う/合うを達成していく記録でありつつ、なぜあゆみが記憶を失ったのかをめぐるミステリでもある。最後まで気が抜けない物語と、ぜひ出合ってほしい。
(ブックレビュー:『WEB小説推理』2026年3月号より)
あなたの身近に〈拝み屋〉はいるだろうか? いない人がほとんどだろう。〈拝み屋〉は宗教のような派手な儀式を行い、霊感じみた超常的な力を駆使して人々の悩みを解決する。占いをスピリチュアルに特化させた職業をイメージすれば理解できる……かもしれない。
「かもしれない」のは、あなたが理解したつもりになっているだけの可能性があるからだ。そして理解したつもりになっているときが、実は最も危うい。私たちは、真になにかを理解することなどできるのだろうか?
母親が失踪した小学六年生の櫻井蒼を引き取ったのは、拝み屋である祖母の工藤千津だった。青森に住む千津は動画投稿サイトで「拝み屋チャンネル」を運営しており、地元では「カミサマ」と呼ばれて慕われている。千津のもとに届く依頼を通じて、蒼もいくつもの事件に協力していくことになる。
蒼が協力するのは五つの事件だ。消えた三味線を探したり、友人が突飛な行動に出た原因を探ったりする「日常の謎」が目立つ。多くの事件に共通しているのは、他人を理解したつもりで行動を起こし、事件が複雑になってしまった背景だろう。相手を理解してあげる善意がすれ違いにつながる可能性を指摘するのだ。そのうえで善意を否定せず、さらなる理解をそっと促すところに本作のやさしさがあらわれている。蒼も事件を通して、失踪した母親や謎の多い祖母の真意を理解していく。
序盤で明かされるのだが、千津には秘密がある。実は彼女に超常的な力などなく、その実体は謎を推理して解き明かす名探偵なのだ。にもかかわらず、千津は人々から慕われている——一体なぜなのか?
それは千津の力があろうとなかろうと、人々を救っているからだ。その積み重ねによって、拝み屋という常識からかけ離れた職業でも理解され、受け容れられていく。きっと私たちは、そう簡単にはお互いに理解まで至れない。だから日常の積み重ねを描くことで、真の理解を目指そうとしているのが本作だ。
(ブックレビュー:『WEB小説推理』2026年2月号より)
天界を統べる大神様から人間の世に遣わされた稲荷神。神としてはまだ子どもで、天界が選んだ「誉人」の願いを百人分叶えれば、晴れて神として天界へ戻れることになっている。だが三百年が経っても叶えられた願いはたったの五つ。眷属の狐は苛立って、落ちこぼれ稲荷神の尻を叩くが……。
人間の機微や社会のルールに疎い稲荷神が、あの手この手で誉人の願いを叶えていく連作である。神だけあって何にでも化けられたり、一夜に一人という条件付きではあるが思い通りに人を操ったりできるというチート能力があるので、願いを叶えるのは極めて簡単そうに見える。が、そう上手くはいかない。
なぜなら選ばれた人々の願いが変なのだ。「私が殺されますように」「幽霊に会えますように」「あの子が選ばれませんように」「あの人を騙せますように」などなど。待って、それどういう意味? 願いの真意がわからなければ叶えようがない。かくして稲荷神は人間に化けて彼らに近づき、本心を探ることになる。
この設定がまずミステリとしてとても興味深い。そういう意味だったのか、そこに真意があったのかという謎解きの面白さに加え、どうやってその願いを叶えるのかという展開の面白さに惹きつけられた。
だが最も大事なのは、この連作で描かれる謎が「人は心の底では何を考えているのか」ということだ。なぜそれを隠しておきたいのか。なぜそれを知りたいのか。そこに人間模様が浮かび上がる。離れて暮らす人を案じる心。大事な人に幸せになってほしいという思い。そんな様々な思いに向き合うのが、人の機微に疎い稲荷神というのがポイント。誰かのための思いに触れることで、はじめは人間の考えが理解できなかった稲荷神が少しずつ変わっていく様子がいい。これは神様の成長物語でもあるのだ。
人の願いを叶えるのは神様なのか、それとも人間自身なのか? ファンタジックでユーモラスな中に、強い芯の通った期待大のデビュー作である。
(ブックレビュー:『WEB小説推理』2026年2月号より)
『構造素子』でデビューし、その後は評論集『すべて名もなき未来』やビジネス書『反逆の仕事論』を刊行してきた樋口恭介。近年はSFを現実のイノベーションや未来戦略に用いるSFプロトタイピングの専門家としても活躍し──と、傍から見ていると樋口恭介は「SFをビジネスに活用する人」になっていた。だが、初のSF短編小説集である本書『何もかも理想とかけ離れていた』を読めば、作家・樋口恭介が決して眠っていたわけではないことがよくわかる。
収録作は様々な媒体に掲載された全六編だ。たとえば表題作は、出生前の子どもに遺伝子改変を行うのが当然になった未来で、あえて無改変の自然分娩を行った母親の苦悩の物語だ。しかし産まれてきた子どもは心臓が悪く一二歳で亡くなってしまい、ソフトウェアと化した息子のコピーだけが残された。そのような状況下での親子はどのような関係性を辿るのか。同じくマインドアップロード物として興味深いのは、物理人類が滅びソフトウェア人類のみとなった未来を描き出す「一〇〇〇億の物語」。おもしろいのがこの世界では新たな子どもはランダムなパラメータで生み出されること。そうすると遺伝的な親子関係が消失するわけだが、その代わりに類似度が近しい個体が家族を形成するようになっており、ソフトウェア人類ならではの家族の在り方、その帰結が描き出されていく。
本作品中のもう一つの軸は人間の神経や脳の改変をテーマにしたニューロサイエンスを扱った作品群。誰もが専用ナノマシンを体内に注入し、利他的な行動を行いスコアを上げることで神経伝達物質を制御し自身の幸福感を高める、未来の日本人の幸福と絶望を描き出す「ニュー(ロ)エコノミーの世紀」が特に素晴らしい。重要なのは、どの作品もそうした未来的なテクノロジーの登場で、単純に言葉で表すことができずこぼれ落ちてしまう〝なにか〟を丹念にすくい上げようとしている点にある。樋口恭介はずっと腕に磨きをかけていたのだと、体感させられる短編集だ。
(ブックレビュー:『WEB小説推理』2026年2月号より)
五条紀夫は、二〇二三年に新潮ミステリー大賞の最終候補に名を連ねた『クローズドサスペンスヘブン』によって、世に姿をあらわした。その筆致は、当代の文学に巣食う定石やお約束を弄ぶかのように逆手へと翻し、読み手の胸をざわつかせる奇手・妙手に満ちている。現世ならぬ死後の世界を事件現場に選び取り、太宰治の『走れメロス』の各所で殺人事件を起こし、亡き町内会長が突如として息を吹き返す殺人事件ならぬ蘇生事件と、怪奇極まれり。
そして『流血マルチバース』である。本書を紐解くと、五条紀夫と思しきオカルト作家が読者に向かって語りかける。曰く、たまたま出会った女から妙な話を聞いたので小説に仕立ててみた、と。その上この物語ときたら、読む者の選ぶ筋道によって、三つの世界に枝分かれするというのだから、いよいよ常道ではない。訝しみつつ頁を繰ると、舞台は太平洋に孤立する無人島、その名も「龍穴島」へと向かう船上へ移り変わる。龍穴島には旧日本軍の財宝が眠るとの黒い噂があり、それを追う貿易会社の会長一派、十年前に同島で起きた噴火を生き延びた兄妹、そして同じ噴火で大火傷を負ったためシリコン製マスクで素顔を隠す男らが乗り合わせている。それぞれが思惑と過去を抱え、重苦しい海霧をかき分けるように進むその船旅は、やがて島に伝わる四首の短歌になぞらえた連続殺人事件によって凄惨な裂け目を生じさせるのであった。
勘のよい読者諸賢ならすでにお気づきのように、この舞台設定には横溝正史や江戸川乱歩を思わせる怪奇趣味が漂っている。ミステリ好きならば過去の名作に対して「あそこでこう立ち回っていれば、物語の行方も変わったのではないか」と妄想に耽ることもあるだろうが、本作はそのもしもを実際に体験させる。しかも面白いことに、その文体までもが、近代の文豪たちの筆致を巧みに模してみせる。そもそも五条紀夫の凄みは正統な近代文学の継承者たる文体と精緻な作劇にある。どこまでも異端な仕掛けを施す作家の、最も正統な小説をぜひ堪能されたい。
(ブックレビュー:『WEB小説推理』2026年2月号より)
井原忠政の人気戦国小説「三河雑兵心得」シリーズが、本書で大きな節目を迎えた。ついに関ケ原の戦いに突入したのだ。もちろん戦いの結果は分かっているが、その渦中で主人公の植田茂兵衛がどのような活躍をするのか、夢中になって読み進めた。
といっても本書の冒頭は、関ケ原の戦い前夜である。強行軍で岐阜城に入った徳川家康と、ひさしぶりに対面した茂兵衛の会話は、もはや阿吽の呼吸。主従としての長き付き合いを考えれば当然か。
家康の最大の懸念は、戦いが長引くこと。そこで策を講じて、戦場が関ケ原になるようにコントロールした。また、他の策もいろいろあるらしい。しかし茂兵衛のやることは、昔から変わらない。戦の前の小競り合いに突っ込んでいった本多平八郎を止めるように家康から命じられ、無茶をする。元から破天荒だった平八郎だが、頑固ぶりに拍車がかかっているではないか。それを命懸けで宥める姿に、つい笑ってしまうのである。
そして始まった関ケ原の戦いだが、今度は井伊直政が我儘をいう。東軍の先鋒は福島正則だったが、直政が抜け駆けをしたというのは有名な話。そこに茂兵衛を、こういう形で絡ませるとは思わなかった。他にも、別の有名なエピソードに、茂兵衛と配下の鉄砲百人組が使われている。よく知っている関ケ原の戦いを、茂兵衛の視点で描くことで、新鮮な気持ちで読めるようになっているのである。
周知のように関ケ原の戦いは一日(実質、半日)で終わり、東軍の家康が勝者となる。だが戦いの最後に大きな波乱があった。西軍の島津義弘が、常識ではありえないような、敵中突破による退却を敢行したのである。いわゆる〝島津の退き口〟だ。作者はこれを、関ケ原の戦いとは別の独立した「退き口という物語」と、思っているとのこと。その物語を次の巻で描くそうだ。天下分け目の戦いが終わっても、茂兵衛たちの戦いは続く。だからシリーズの今後が、ますます楽しみなのである。
(ブックレビュー:『WEB小説推理』2026年2月号より)
双葉文庫では、「拙者、妹がおりまして」「義妹にちょっかいは無用にて」シリーズでお馴染みの馳月基矢が、新シリーズを開始した。書き下ろし作品の『姉上、ご成敗ねがいます』だ。主人公の小夜は小普請組の吉竹家から、知行高五百石で勘定吟味役の酒井家当主の菊之進に嫁いだ。といっても、どちらの家も裏の顔がある。小夜の父親の篤兵衛は、公儀隠密の始末屋だったのだ。小夜には弟の由利之丞がいるが、父親は彼女にだけ始末術を仕込んでいる。
しかし父親が唐突に姿を消した。小夜は酒井家に嫁ぎ、由利之丞は火付盗賊改方の滝沢将監の養子になったのである。ちなみにシスコンの由利之丞は吉竹家の裏の顔を知らない。
やはり公儀隠密の一家である酒井家。菊之進の他に、彼の弟の蘭十郎と嫡男の梅千代がいる。だが三人に血の繋がりはない。つまりは疑似家族だ。そこに入っていった小夜は、徐々に酒井家の人々に馴染みながら、ある事件を追うことになるのだった。
本書は全四話で構成されている。第一話は、嫁いだ小夜が、いろいろ戸惑う様子が描かれている。酒井家での暮らしは思ったより快適だが、八歳の梅千代には隔意を持たれている。また小夜は、裁縫や料理は苦手だし、世間的な常識も乏しい。そんな彼女が、しだいに三人と本当の家族のようになっていく。小夜が育てる朝顔をシンボリックに使い、作者は彼女の感情と状況の変化を、巧みに表現するのだ。
さらに一話ごとに、三人の抱える事情や人生が明らかになっていく。なかでも菊之進の抱えている秘密は意外。そのネタが出てくるのかと驚いた。
一方で、酒井家に迷い込んできた飛べない鳥を切っかけに、大藩の犯罪が明らかになっていく。由利之丞から情報を得たりしながら、巨悪に迫っていく一家の活躍が楽しい。吹き矢や棒手裏剣など暗器を得意とする小夜のアクションも楽しい。今後の展開が楽しみなシリーズなのである。
(ブックレビュー:『WEB小説推理』2026年1月号より)
下村敦史は、視覚障害者の主人公が、中国残留孤児として帰国した兄が本物かを調べる『闇に香る嘘』で第六〇回江戸川乱歩賞を受賞してデビューした。殺人罪で起訴された視覚障害者の裁判を描く本書は、原点に回帰した著者が新たな高みに立った傑作といえる。
すべての光を失い、後天的な障害者を支援するNPO法人「天使の箱庭」に入所して生活訓練を受けていた美波優月は、深夜に施設長の荒瀬鉦太郎に視聴覚室へ呼び出された。そこで何者かに襲われた美波は、悲鳴を上げ相手を突き飛ばす。駆けつけた副施設長の太崎和子は、荒瀬の死体と血まみれの美波を発見する。
美波の姉から依頼を受けた刑事弁護人の竜ヶ崎恭介は、無実を訴える美波と面会し弁護人になる。まず竜ヶ崎は、視覚に障害があり逃亡、証拠隠滅の恐れがない美波の保釈を求める。だが容疑を否認している容疑者の保釈は、難しい状況にあった。いわゆる人質司法など、作中の随所で現在の刑事裁判が抱える問題が指摘されるので、社会派推理小説としても秀逸である。
無実を訴える美波だが、凶器のナイフに指紋が残り、現場から第三者の逃亡は不可能だった。さらに荒瀬が職員や入所者に性加害、セクハラを行っていた疑惑が浮上し、美波も被害者だったとの証言により動機も出てくる。だが美波は、性被害を一貫して否定する。
美波が荒瀬に被害を受けていたと証言したのは、心因性の失語症で自身も被害者の十歳の少女・泉梨乃と、視覚に障害はあるが美波たちの前で荒瀬に性加害を問いただす太崎の言葉を読唇術で把握した嶋谷良平だった。
竜ヶ崎が、性被害、障害者という二重な問題を乗り越え、卓越した推理と法廷戦術で検察の立証を崩していくクライマックスは圧巻である。
竜ヶ崎の謎解きは、健常者であっても、言葉一つ、情報一つで簡単に認識が歪められる現実を暴いていく。本書のどんでん返しは、読者が信じていた当たり前を揺さぶり、別の解釈を突きつけて価値観をひっくり返しもするだけに強く印象に残るはずだ。
(ブックレビュー:『WEB小説推理』2026年1月号より)
働く現代人の悲喜こもごもを、絶妙なユーモアと共感度の高い視点を交えて描く石田夏穂。独特のこだわりを持つ主人公が登場することが多いが、新作『緑十字のエース』では、こだわりを持つ人間に翻弄される側の男が主人公だ。
大手デベロッパーの社員だった四十九歳の浜地は、とある事情で家族には内緒で退職、中堅ゼネコンである台島建設の契約社員となる。業界にいたものの積算部長だった彼は、現場の経験はゼロ。が、任命されたのはショッピングモール建設工事現場の安全衛生管理責任者だ。
浜地の教育担当は年下の松本という男。彼は徹底的に「安全第一」にこだわり、保護メガネを装着していない職人がいれば仕事を中断させ、基準以上の強風が吹けばクレーン作業を中止させ、結果的に業務時間や予算を大幅に膨らませている。所長や工事責任者、職人たちからも疎まれる存在だ。浜地も松本の融通の利かなさに呆れるが、歯向かうことはしない。実は浜地が前職を辞めたのは、安全衛生管理に関わるアクシデントが理由なのだ。
実際、甘い判断が大きな事故に繋がることはある。松本の行動は間違っているとはいえない。でもルールに厳密なあまり作業に支障が生じる際の現場の苛立ちも分かる。複数の業者が出入りする現場の人間模様や、作業工程がリアルに描かれるからこそ、どの立場の人間の気持ちも分かってしまう。と思っていたが……。
未知の仕事で戸惑うことばかりの浜地は、だからこそ周囲をよく観察しており、やがて奇妙な事実に気づく。そして後半は意外にもスリリングな展開となり、「これってホワットダニット(なにが起きたのか)とフーダニット(誰がやったのか)とホワイダニット(なぜやったのか)の話だったのか」と驚いた。しかも、これが現実にありそうな真相なのだ。正論と緩和、狡さと良心、矜持と諦念が入り混じる工事現場を、もはや痛快なほど追体験できるお仕事小説である。
(ブックレビュー:『WEB小説推理』2026年1月号より)
明け方の空に輝く金星は「明けの明星」と呼ばれ、その美しさから女神に譬えられることが多いが、キリスト教においては堕天使ルシファーを意味し、日本神話で金星の神格化とされる天津甕星は、天津神に最後まで服従しなかったことで知られる。湊かなえの新刊の『暁星』というタイトルは、絶対的な力を持つ存在への叛逆という不穏なニュアンスを帯びている。
本書は発端からしてスキャンダラスだ。文部科学大臣が衆人環視の場で刺殺され、犯人は母親が信者として献金していた宗教団体「愛光教会」への怨みを動機として口にした――と来れば、実際に起きたあの事件を想起しないのは難しい。果たして著者の狙いは奈辺にあるのか、少々不安な気持ちで読みはじめた。
本書の前半「暁闇」は、週刊誌に掲載された犯人の手記が中心となっており、その合間にSNS上の読者からの反応などが挟み込まれている。犯人は一見、大臣暗殺に至るまでの経緯(作家である父親が愛光教会が背後にいる文学賞に落選した後に自殺したことや、弟の死にまつわる怨みなど)を赤裸々に語っているかに思える。だが、著者の小説の愛読者なら、衝撃的な告白ほど裏に何かを秘めている場合が多いことを知っている筈だ。
後半「金星」は、犯人の手記というノンフィクション仕立てから一転し、ある人物が執筆した小説となっている。そのフィクションの世界で語られるのは、前半で伏せられていた真実であり、宗教二世ならではの苦しみであり、真実が何故小説のかたちで発表されなければならなかったのかという理由である。
ひとは往々にして、ノンフィクション=真実、フィクション=創作であると考える。しかし、フィクションのかたちでしか伝え得ない真実もあるのではないか。本書はそんな問いを突きつける。そして最後まで読み終えたあと、「暁闇」の終章に戻ることで物語は完結する。二つのパートの書き手が苦しみの中で求めたもの、守りたかったものを読者に考えさせながら。
(ブックレビュー:『WEB小説推理』2026年1月号より)