おがのおばあちゃんと僕』

五十嵐大/評・あわいゆき

青森で暮らす〈拝み屋〉のおばあちゃんと孫息子が送る、小さな日常の積み重ね

 あなたの身近に〈拝み屋〉はいるだろうか? いない人がほとんどだろう。〈拝み屋〉は宗教のような派手な儀式を行い、霊感じみた超常的な力を駆使して人々の悩みを解決する。占いをスピリチュアルに特化させた職業をイメージすれば理解できる……かもしれない。 「かもしれない」のは、あなたが理解したつもりになっているだけの可能性があるからだ。そして理解したつもりになっているときが、実は最も危うい。私たちは、真になにかを理解することなどできるのだろうか?
 母親が失踪した小学六年生の櫻井蒼を引き取ったのは、拝み屋である祖母の工藤千津だった。青森に住む千津は動画投稿サイトで「拝み屋チャンネル」を運営しており、地元では「カミサマ」と呼ばれて慕われている。千津のもとに届く依頼を通じて、蒼もいくつもの事件に協力していくことになる。
 蒼が協力するのは五つの事件だ。消えた三味線を探したり、友人が突飛な行動に出た原因を探ったりする「日常の謎」が目立つ。多くの事件に共通しているのは、他人を理解したつもりで行動を起こし、事件が複雑になってしまった背景だろう。相手を理解してあげる善意がすれ違いにつながる可能性を指摘するのだ。そのうえで善意を否定せず、さらなる理解をそっと促すところに本作のやさしさがあらわれている。蒼も事件を通して、失踪した母親や謎の多い祖母の真意を理解していく。
 序盤で明かされるのだが、千津には秘密がある。実は彼女に超常的な力などなく、その実体は謎を推理して解き明かす名探偵なのだ。にもかかわらず、千津は人々から慕われている——一体なぜなのか?
 それは千津の力があろうとなかろうと、人々を救っているからだ。その積み重ねによって、拝み屋という常識からかけ離れた職業でも理解され、受け容れられていく。きっと私たちは、そう簡単にはお互いに理解まで至れない。だから日常の積み重ねを描くことで、真の理解を目指そうとしているのが本作だ。

(ブックレビュー:『WEB小説推理』2026年2月号より)

『お稲荷さまの謎解き帖』

朝水想/評・大矢博子

参拝者の願いを叶えるのが稲荷神の仕事。なのに、どうして変な願い事ばかりなの!?

 天界を統べる大神様から人間の世に遣わされた稲荷神。神としてはまだ子どもで、天界が選んだ「誉人ほまれびと」の願いを百人分叶えれば、晴れて神として天界へ戻れることになっている。だが三百年が経っても叶えられた願いはたったの五つ。眷属の狐は苛立って、落ちこぼれ稲荷神の尻を叩くが……。
 人間の機微や社会のルールに疎い稲荷神が、あの手この手で誉人の願いを叶えていく連作である。神だけあって何にでも化けられたり、一夜に一人という条件付きではあるが思い通りに人を操ったりできるというチート能力があるので、願いを叶えるのは極めて簡単そうに見える。が、そう上手くはいかない。
 なぜなら選ばれた人々の願いが変なのだ。「私が殺されますように」「幽霊に会えますように」「あの子が選ばれませんように」「あの人を騙せますように」などなど。待って、それどういう意味? 願いの真意がわからなければ叶えようがない。かくして稲荷神は人間に化けて彼らに近づき、本心を探ることになる。
 この設定がまずミステリとしてとても興味深い。そういう意味だったのか、そこに真意があったのかという謎解きの面白さに加え、どうやってその願いを叶えるのかという展開の面白さに惹きつけられた。
 だが最も大事なのは、この連作で描かれる謎が「人は心の底では何を考えているのか」ということだ。なぜそれを隠しておきたいのか。なぜそれを知りたいのか。そこに人間模様が浮かび上がる。離れて暮らす人を案じる心。大事な人に幸せになってほしいという思い。そんな様々な思いに向き合うのが、人の機微に疎い稲荷神というのがポイント。誰かのための思いに触れることで、はじめは人間の考えが理解できなかった稲荷神が少しずつ変わっていく様子がいい。これは神様の成長物語でもあるのだ。
 人の願いを叶えるのは神様なのか、それとも人間自身なのか? ファンタジックでユーモラスな中に、強い芯の通った期待大のデビュー作である。

(ブックレビュー:『WEB小説推理』2026年2月号より)

『何もかも理想とかけ離れていた』

樋口恭介/評・冬木糸一

最先端のテクノロジーからこぼれ落ちる感情をすくい上げた珠玉の短編集

 『構造素子』でデビューし、その後は評論集『すべて名もなき未来』やビジネス書『反逆の仕事論』を刊行してきた樋口恭介。近年はSFを現実のイノベーションや未来戦略に用いるSFプロトタイピングの専門家としても活躍し──と、傍から見ていると樋口恭介は「SFをビジネスに活用する人」になっていた。だが、初のSF短編小説集である本書『何もかも理想とかけ離れていた』を読めば、作家・樋口恭介が決して眠っていたわけではないことがよくわかる。
 収録作は様々な媒体に掲載された全六編だ。たとえば表題作は、出生前の子どもに遺伝子改変を行うのが当然になった未来で、あえて無改変の自然分娩を行った母親の苦悩の物語だ。しかし産まれてきた子どもは心臓が悪く一二歳で亡くなってしまい、ソフトウェアと化した息子のコピーだけが残された。そのような状況下での親子はどのような関係性を辿るのか。同じくマインドアップロード物として興味深いのは、物理人類が滅びソフトウェア人類のみとなった未来を描き出す「一〇〇〇億の物語」。おもしろいのがこの世界では新たな子どもはランダムなパラメータで生み出されること。そうすると遺伝的な親子関係が消失するわけだが、その代わりに類似度が近しい個体が家族を形成するようになっており、ソフトウェア人類ならではの家族の在り方、その帰結が描き出されていく。
 本作品中のもう一つの軸は人間の神経や脳の改変をテーマにしたニューロサイエンスを扱った作品群。誰もが専用ナノマシンを体内に注入し、利他的な行動を行いスコアを上げることで神経伝達物質を制御し自身の幸福感を高める、未来の日本人の幸福と絶望を描き出す「ニュー(ロ)エコノミーの世紀」が特に素晴らしい。重要なのは、どの作品もそうした未来的なテクノロジーの登場で、単純に言葉で表すことができずこぼれ落ちてしまう〝なにか〟を丹念にすくい上げようとしている点にある。樋口恭介はずっと腕に磨きをかけていたのだと、体感させられる短編集だ。

(ブックレビュー:『WEB小説推理』2026年2月号より)

流血りゅうけつマルチバース』

五条紀夫/評・渡辺祐真

無人島で起こる凄惨な連続殺人事件、読者の「選択」によって物語が三つに分岐する

 五条紀夫は、二〇二三年に新潮ミステリー大賞の最終候補に名を連ねた『クローズドサスペンスヘブン』によって、世に姿をあらわした。その筆致は、当代の文学に巣食う定石やお約束を弄ぶかのように逆手へと翻し、読み手の胸をざわつかせる奇手・妙手に満ちている。現世ならぬ死後の世界を事件現場に選び取り、太宰治の『走れメロス』の各所で殺人事件を起こし、亡き町内会長が突如として息を吹き返す殺人事件ならぬ蘇生事件と、怪奇極まれり。
 そして『流血マルチバース』である。本書を紐解くと、五条紀夫と思しきオカルト作家が読者に向かって語りかける。曰く、たまたま出会った女から妙な話を聞いたので小説に仕立ててみた、と。その上この物語ときたら、読む者の選ぶ筋道によって、三つの世界に枝分かれするというのだから、いよいよ常道ではない。訝しみつつ頁を繰ると、舞台は太平洋に孤立する無人島、その名も「龍穴島」へと向かう船上へ移り変わる。龍穴島には旧日本軍の財宝が眠るとの黒い噂があり、それを追う貿易会社の会長一派、十年前に同島で起きた噴火を生き延びた兄妹、そして同じ噴火で大火傷を負ったためシリコン製マスクで素顔を隠す男らが乗り合わせている。それぞれが思惑と過去を抱え、重苦しい海霧をかき分けるように進むその船旅は、やがて島に伝わる四首の短歌になぞらえた連続殺人事件によって凄惨な裂け目を生じさせるのであった。
 勘のよい読者諸賢ならすでにお気づきのように、この舞台設定には横溝正史や江戸川乱歩を思わせる怪奇趣味が漂っている。ミステリ好きならば過去の名作に対して「あそこでこう立ち回っていれば、物語の行方も変わったのではないか」と妄想に耽ることもあるだろうが、本作はそのもしもを実際に体験させる。しかも面白いことに、その文体までもが、近代の文豪たちの筆致を巧みに模してみせる。そもそも五条紀夫の凄みは正統な近代文学の継承者たる文体と精緻な作劇にある。どこまでも異端な仕掛けを施す作家の、最も正統な小説をぜひ堪能されたい。

(ブックレビュー:『WEB小説推理』2026年2月号より)

『三河雑兵心得 17 関ケ原仁義 下』

井原忠政/評・細谷正充

ついに関ケ原の戦いが始まった。味方の武将の我儘に振り回されながら、植田茂兵衛が戦場を疾駆する

 井原忠政の人気戦国小説「三河雑兵心得」シリーズが、本書で大きな節目を迎えた。ついに関ケ原の戦いに突入したのだ。もちろん戦いの結果は分かっているが、その渦中で主人公の植田茂兵衛がどのような活躍をするのか、夢中になって読み進めた。
 といっても本書の冒頭は、関ケ原の戦い前夜である。強行軍で岐阜城に入った徳川家康と、ひさしぶりに対面した茂兵衛の会話は、もはや阿吽の呼吸。主従としての長き付き合いを考えれば当然か。
 家康の最大の懸念は、戦いが長引くこと。そこで策を講じて、戦場が関ケ原になるようにコントロールした。また、他の策もいろいろあるらしい。しかし茂兵衛のやることは、昔から変わらない。戦の前の小競り合いに突っ込んでいった本多平八郎を止めるように家康から命じられ、無茶をする。元から破天荒だった平八郎だが、頑固ぶりに拍車がかかっているではないか。それを命懸けで宥める姿に、つい笑ってしまうのである。
 そして始まった関ケ原の戦いだが、今度は井伊直政が我儘をいう。東軍の先鋒は福島正則だったが、直政が抜け駆けをしたというのは有名な話。そこに茂兵衛を、こういう形で絡ませるとは思わなかった。他にも、別の有名なエピソードに、茂兵衛と配下の鉄砲百人組が使われている。よく知っている関ケ原の戦いを、茂兵衛の視点で描くことで、新鮮な気持ちで読めるようになっているのである。
 周知のように関ケ原の戦いは一日(実質、半日)で終わり、東軍の家康が勝者となる。だが戦いの最後に大きな波乱があった。西軍の島津義弘が、常識ではありえないような、敵中突破による退却を敢行したのである。いわゆる〝島津の退き口〟だ。作者はこれを、関ケ原の戦いとは別の独立した「退き口という物語」と、思っているとのこと。その物語を次の巻で描くそうだ。天下分け目の戦いが終わっても、茂兵衛たちの戦いは続く。だからシリーズの今後が、ますます楽しみなのである。

(ブックレビュー:『WEB小説推理』2026年2月号より)

『姉上、ご成敗ねがいます 1』

馳月基矢/評・細谷正充

疑似家族の一員となった小夜が、始末術を駆使して悪を討つ。ユニークな設定の時代アクションだ

 双葉文庫では、「拙者、妹がおりまして」「義妹にちょっかいは無用にて」シリーズでお馴染みの馳月基矢が、新シリーズを開始した。書き下ろし作品の『姉上、ご成敗ねがいます』だ。主人公の小夜は小普請組の吉竹家から、知行高五百石で勘定吟味役の酒井家当主の菊之進に嫁いだ。といっても、どちらの家も裏の顔がある。小夜の父親の篤兵衛は、公儀隠密の始末屋だったのだ。小夜には弟の由利之丞がいるが、父親は彼女にだけ始末術を仕込んでいる。
 しかし父親が唐突に姿を消した。小夜は酒井家に嫁ぎ、由利之丞は火付盗賊改方の滝沢将監の養子になったのである。ちなみにシスコンの由利之丞は吉竹家の裏の顔を知らない。
 やはり公儀隠密の一家である酒井家。菊之進の他に、彼の弟の蘭十郎と嫡男の梅千代がいる。だが三人に血の繋がりはない。つまりは疑似家族だ。そこに入っていった小夜は、徐々に酒井家の人々に馴染みながら、ある事件を追うことになるのだった。
 本書は全四話で構成されている。第一話は、嫁いだ小夜が、いろいろ戸惑う様子が描かれている。酒井家での暮らしは思ったより快適だが、八歳の梅千代には隔意を持たれている。また小夜は、裁縫や料理は苦手だし、世間的な常識も乏しい。そんな彼女が、しだいに三人と本当の家族のようになっていく。小夜が育てる朝顔をシンボリックに使い、作者は彼女の感情と状況の変化を、巧みに表現するのだ。
 さらに一話ごとに、三人の抱える事情や人生が明らかになっていく。なかでも菊之進の抱えている秘密は意外。そのネタが出てくるのかと驚いた。
 一方で、酒井家に迷い込んできた飛べない鳥を切っかけに、大藩の犯罪が明らかになっていく。由利之丞から情報を得たりしながら、巨悪に迫っていく一家の活躍が楽しい。吹き矢や棒手裏剣など暗器を得意とする小夜のアクションも楽しい。今後の展開が楽しみなシリーズなのである。

(ブックレビュー:『WEB小説推理』2026年1月号より)

『暗闇法廷』

下村敦史/評・末國善己

どんでん返しが読者の常識も反転させる法廷サスペンス+本格+社会派推理

 下村敦史は、視覚障害者の主人公が、中国残留孤児として帰国した兄が本物かを調べる『闇に香る嘘』で第六〇回江戸川乱歩賞を受賞してデビューした。殺人罪で起訴された視覚障害者の裁判を描く本書は、原点に回帰した著者が新たな高みに立った傑作といえる。
 すべての光を失い、後天的な障害者を支援するNPO法人「天使の箱庭」に入所して生活訓練を受けていた美波優月は、深夜に施設長の荒瀬鉦太郎に視聴覚室へ呼び出された。そこで何者かに襲われた美波は、悲鳴を上げ相手を突き飛ばす。駆けつけた副施設長の太崎和子は、荒瀬の死体と血まみれの美波を発見する。
 美波の姉から依頼を受けた刑事弁護人の竜ヶ崎恭介は、無実を訴える美波と面会し弁護人になる。まず竜ヶ崎は、視覚に障害があり逃亡、証拠隠滅の恐れがない美波の保釈を求める。だが容疑を否認している容疑者の保釈は、難しい状況にあった。いわゆる人質司法など、作中の随所で現在の刑事裁判が抱える問題が指摘されるので、社会派推理小説としても秀逸である。
 無実を訴える美波だが、凶器のナイフに指紋が残り、現場から第三者の逃亡は不可能だった。さらに荒瀬が職員や入所者に性加害、セクハラを行っていた疑惑が浮上し、美波も被害者だったとの証言により動機も出てくる。だが美波は、性被害を一貫して否定する。
 美波が荒瀬に被害を受けていたと証言したのは、心因性の失語症で自身も被害者の十歳の少女・泉梨乃と、視覚に障害はあるが美波たちの前で荒瀬に性加害を問いただす太崎の言葉を読唇術で把握した嶋谷良平だった。
 竜ヶ崎が、性被害、障害者という二重な問題を乗り越え、卓越した推理と法廷戦術で検察の立証を崩していくクライマックスは圧巻である。
 竜ヶ崎の謎解きは、健常者であっても、言葉一つ、情報一つで簡単に認識が歪められる現実を暴いていく。本書のどんでん返しは、読者が信じていた当たり前を揺さぶり、別の解釈を突きつけて価値観をひっくり返しもするだけに強く印象に残るはずだ。

(ブックレビュー:『WEB小説推理』2026年1月号より)

『緑十字のエース』

石田夏穂/評・瀧井朝世

厳しすぎる安全衛生管理に誰もが辟易している工事現場。その裏で起きていたことは?

 働く現代人の悲喜こもごもを、絶妙なユーモアと共感度の高い視点を交えて描く石田夏穂。独特のこだわりを持つ主人公が登場することが多いが、新作『緑十字のエース』では、こだわりを持つ人間に翻弄される側の男が主人公だ。
 大手デベロッパーの社員だった四十九歳の浜地は、とある事情で家族には内緒で退職、中堅ゼネコンである台島建設の契約社員となる。業界にいたものの積算部長だった彼は、現場の経験はゼロ。が、任命されたのはショッピングモール建設工事現場の安全衛生管理責任者だ。
 浜地の教育担当は年下の松本という男。彼は徹底的に「安全第一」にこだわり、保護メガネを装着していない職人がいれば仕事を中断させ、基準以上の強風が吹けばクレーン作業を中止させ、結果的に業務時間や予算を大幅に膨らませている。所長や工事責任者、職人たちからも疎まれる存在だ。浜地も松本の融通の利かなさに呆れるが、歯向かうことはしない。実は浜地が前職を辞めたのは、安全衛生管理に関わるアクシデントが理由なのだ。
 実際、甘い判断が大きな事故に繋がることはある。松本の行動は間違っているとはいえない。でもルールに厳密なあまり作業に支障が生じる際の現場の苛立ちも分かる。複数の業者が出入りする現場の人間模様や、作業工程がリアルに描かれるからこそ、どの立場の人間の気持ちも分かってしまう。と思っていたが……。
 未知の仕事で戸惑うことばかりの浜地は、だからこそ周囲をよく観察しており、やがて奇妙な事実に気づく。そして後半は意外にもスリリングな展開となり、「これってホワットダニット(なにが起きたのか)とフーダニット(誰がやったのか)とホワイダニット(なぜやったのか)の話だったのか」と驚いた。しかも、これが現実にありそうな真相なのだ。正論と緩和、狡さと良心、矜持と諦念が入り混じる工事現場を、もはや痛快なほど追体験できるお仕事小説である。

(ブックレビュー:『WEB小説推理』2026年1月号より)

暁星あけぼし

湊かなえ/評・千街晶之

「真実」と「創作」ふたつの物語が描き出す「事件の真相」とは!?

 明け方の空に輝く金星は「明けの明星」と呼ばれ、その美しさから女神に譬えられることが多いが、キリスト教においては堕天使ルシファーを意味し、日本神話で金星の神格化とされる天津甕星あまつみかぼしは、天津神に最後まで服従しなかったことで知られる。湊かなえの新刊の『暁星あけぼし』というタイトルは、絶対的な力を持つ存在への叛逆という不穏なニュアンスを帯びている。
 本書は発端からしてスキャンダラスだ。文部科学大臣が衆人環視の場で刺殺され、犯人は母親が信者として献金していた宗教団体「愛光教会」への怨みを動機として口にした――と来れば、実際に起きたあの事件を想起しないのは難しい。果たして著者の狙いは奈辺にあるのか、少々不安な気持ちで読みはじめた。
 本書の前半「暁闇」は、週刊誌に掲載された犯人の手記が中心となっており、その合間にSNS上の読者からの反応などが挟み込まれている。犯人は一見、大臣暗殺に至るまでの経緯(作家である父親が愛光教会が背後にいる文学賞に落選した後に自殺したことや、弟の死にまつわる怨みなど)を赤裸々に語っているかに思える。だが、著者の小説の愛読者なら、衝撃的な告白ほど裏に何かを秘めている場合が多いことを知っている筈だ。  後半「金星」は、犯人の手記というノンフィクション仕立てから一転し、ある人物が執筆した小説となっている。そのフィクションの世界で語られるのは、前半で伏せられていた真実であり、宗教二世ならではの苦しみであり、真実が何故小説のかたちで発表されなければならなかったのかという理由である。
 ひとは往々にして、ノンフィクション=真実、フィクション=創作であると考える。しかし、フィクションのかたちでしか伝え得ない真実もあるのではないか。本書はそんな問いを突きつける。そして最後まで読み終えたあと、「暁闇」の終章に戻ることで物語は完結する。二つのパートの書き手が苦しみの中で求めたもの、守りたかったものを読者に考えさせながら。

(ブックレビュー:『WEB小説推理』2026年1月号より)


双 葉 社