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甘味度1.君の声はガラスの靴

ミーンミンミンミン……。
夏休み最後の日。
いつものように、いつもの駅に降り立った私・朝戸春希(あさとはるき)は、できていたその人だかりに、ふいに足を止めた。
「どうしたんですか」
思わずそう声をかけてしまったのは、長年この土地に住んでいるが、駅の改札を抜けたその場所で、こんなに人が立ち止まっていたことがなかったから。
「いや、それがね」
目の前に立っていたおばちゃんが、くるりと振り返って私に手まねきした。
「どうやら芸能人が来てるらしいのよ」
「……ほう!」
田舎町とまでは言わないが、東京からはそれなりに離れた都道府県。
県庁所在地の中心駅にイベントで訪れることはあっても、こんな住宅地の駅に芸能人が来た試しはない。
「誰ですか?」
なので思わず、会話が続いてしまう。
人だかりを交わすように身を揺らしてみるも、向こうは全く見えなかった。
「いやね、それが」
おばちゃんが再び手まねく。
「分かんないのよ。キャップを目深にかぶってるとかで」
「へぇ」
「しかも、寝ちゃってて起きないらしいのよ。誰が声をかけてもね」
「……はぁ」
はて、いったいどんな状況か。
言われた言葉のままを想像するに、芸能人らしい人がこの先で寝ている?
「どこで寝てるんですか」
「ベンチらしいよ。券売機の前にある」
ここはギリギリ有人駅だが、そんなに大きな駅でもない。
小さな駅舎の中、二つある改札機の横、駅の職員さんたちがいる小さな部屋があって、その前にこれまた二つの券売機。
その券売機の前に、平仮名の「に」のように置かれたベンチがある。
そのベンチで寝ている、というので、壁につけて置かれた「に」の一画目にあたるベンチを思い浮かべた。
「それで、こんな人だかりができている、と」
だんだんと、ただの迷惑な話に思えてきた。
芸能人らしい、という口ぶりと、寝ていて起きない、という状況から、撮影でやってきたわけではないのでは、と推測する。
オフィシャルで来ているのなら、そっとしておいてあげるべきだし、というか最初からバレないように来てほしい。
とはいえ、商業地域でないのだから、誰かに会いにきたのであろうことは明白だろう。
(恋人……的な)
なるほど、だからみんなソレを期待して、この場にとどまっているのかもしれない。……スマホを片手に。
「すみませーん、通してくださーい」
ということで、私はもうスルー案件。
芸能人のプライベートに興味はない。
それより、明日から始まる学校に備えて、夏休み最後の日という今日を、最後まで満喫する方が意義がある。
――が。
「はいはい、君も是非やってみよう! 誰の声で目覚めるか、はたまた誰の声掛けでも起きないか! 揺すってみた人もいたけれど、彼は手強いよ~! まだ誰一人、“ん”の声すら聞かせてないよ~っ!」
――!?
突如現れた謎のメンズ二人組が私の前に立ちはだかった。
片割の手には……動画配信か!? イケメンを起こすのは誰だ! とスマホに向かって解説している。
思わず顔を隠して、この訳の分からない企画に乗っからないと逃げようとする、も。
「さぁさ、シンデレラ企画! 誰が起こすか選手権!」
「!?」
そう言って、私の腕を引いた。
「わ、私はそんなっ」
「おっ、男の子かと思いきや、これはもしや女の子でした!」
「――、」
思わず「おい」と声に出そうになって、顔から表情が消える。
そんな私をこれは面白い材料だと思ったのか、彼らはますます勝手に持ち上がり始めた。
「今まで十数人の可愛子ちゃん、マダム、セレブまで玉砕してきた中、現れたイレギュラー的少女! ――えっと、いくつ? 中学生? あ、もしや小学生くらいかな!?」
なんて、失礼なことまで言い出して、怒りを通り越して殺意が湧き始める。
はた迷惑すぎて、即座に通報してやりたい。
目の前で寝ているこの男も、もしやこいつらのグル!?
キッと睨みを利かせ、ずかずかと彼に近づく。
こんなの絶対、寝たふりしているに決まっている。
だからいくら呼んだって叫んだって、起きないふりをしているだけで――。
こうなったら、どうやったって起こしてやろう。
「――っ」
ぎりっと奥歯を噛みしめて、ベンチに座ったまま微動だにしない彼に近づいた。
全力で耳元で怒鳴ってやる――。
ドスドスと怒り心頭で近づいたその時だった。
「――おい」
という彼らの声に気づいた時には既に遅く。
かかった足。
引っかけられていた足!
バランスを崩しながら見た世界は、なんと本当にスローモーションに見えた。
「よしキタ!」
って奴らの声が聞こえる。
取れ高だって言わんばかりの期待顔。
予想外に転ぶ時、人って本当にこんなことを思うんだ。
(そんなバナナぁぁぁ!!!!)
「――ふべぇぇぇっ!!!!!」
**********
起こしてやろう、だなんて、怒りに飲み込まれた罰だ。
正しい選択は、仕掛け人であろう彼を意地でも起こすことではなく、この場から去ることだった。
こんな低俗な同じ土俵に立ってしまったせいで、私の姿はきっと世界配信。
今日の格好がパンツ姿だっただけマシだ。
これでスカート姿だった時には、きっと本当の意味でパンツ丸出しで、死んでしまいたいたかっただろう。
「キター!」って声と「ふべぇぇ」って声と。
周囲の「きゃあああ」っていう悲鳴が交じって、私はあえなく地面に突っ伏せる予定だった。
「…………………………、」
(!?)
しかし。
予定は未定で終わった今。
転ばなかった私の身体は、何かに受けとめられて、今も膝を少し付いただけで尻も丸見えにならずにいる。
「――大丈夫?」
「!?」
支えたその腕。
視界に入った明るい髪色。
キャップが外れて、露わになったその顔立ちは………。
私の時間(トキ)だけでなく、その場にいた全ての人間の時間(トキ)を止めていた。
(モノホンの王子様……っ)
出てくる単語がいちいち昭和。
だけど人間、本当に驚くと、奇想天外な感想が飛び出るもんだ。
「う、嘘だろ、起きた!?」
「マジで!?」
「――、」
後ろの二人が一番驚いている。
(この人たち、グルじゃなかったのか……!?)
「あれ? 寝てた? 俺」
「!」
そう言って、周囲を見渡すマイペースな彼。
「もう起きられる?」と訊ねられて、私は飛ぶように立ち上がった。
「す、すみませんっ! 転んでしまって!」
「ううん、助かったよ。一度寝ると、なかなか起きられなくて」
(!?)
それは、つまり……。
「あの人たちと、グルだったわけでは、なく……?」
なんて、馬鹿正直に訊ねてしまった。
「――、」
と、彼の視線が二人組に移り、たったそれだけの仕草に観衆が「はぁ」と甘いため息を零した。
「ちょっと待ってて」
「え、」
その一瞬でこの状況を把握したのか、彼が立ち上がり、彼らに近づいた。
そして――。
「わっ、何すん――」
彼らが叫ぶのも半分で、取り上げたスマホ。
そしてそれをそのまま――。
(フライアウェイ……)
またも昭和!?なノリで出てきた単語が、線路の向こうの土手に飛んでいったスマホを見送った。
「おまっ、何すんだよっ!」
「モラルの欠片もないね。登録者数増やしたいなら、俺が出てやろうか?」
「――!」
ぐうの音も出ない正論。
観衆が「かっこいい」「素敵」と感動して、手を叩きだした。
「――っ」
そんな現状に、男たちが下唇を噛んだ。
「訴えてやるからな!」
「勝てるのなら」
「っ!!」
そして、自分のスマホを探すため、駅から出て行った。
拍手喝采、歓迎ムード。
「あんたもよく頑張ったね!」
だなんて、さっきのおばさんに肩を叩かれ、私も一躍時の人。
「写真撮ってもらえませんか!?」
「お名前は!?」
が、しかし。
彼はもっと上の人。
雲の上の人って感じ?
囲まれているらしい(もうすでに人混みで見えない)彼の方を見て、数回瞬きをし、本当は私ももう少し話がしたかったけれど、状況がそれを許さなかった。
既にフェードアウトしてしまって蚊帳の外。
一躍時の人も、ほんの一瞬で終わり、私はまた一般庶民に逆戻り。
(――うん)
そんな現実を一人納得して、駅を出た。
駅を出ると、いつも通りのロータリー。
その向こうに続く、アップダウンのある一本道。
その丘の上にあるのが、私の住むマンション。
駅が西。マンションが東。
なので夕方はいつも、夕陽を背負って帰路につく。
今日も変わらぬ暑い夕陽が私を突き刺す。
足下に長い影が伸びて、さっきのことがまるで夢みたい。
(私、本当にあのイケメンに受けとめてもらった……?)
というか、あれ?
“誰も起こせなかった”はずの彼が“起きた”……?
――いやいや。
期待するな私。
期待したところでもう遅い。
あんなイケメンとこんな私が、二度も出会える奇跡なんて起こるはずもない。
そう思えば、意地でも駅に残っておくべきだったか。
(……今からでも)
なんて一瞬足が止まったが、それもすぐさま再開させた。
縁、っていうものは、偏っている、と常々思う。
出会う人、関わる人は、かなり小さなコミュニティの中で完結している。
今もこうやって通り過ぎていく人の波。
そこには、毎日のように顔を合わせるのに、名前はおろか声さえ知らない人もいる。
なのに限られた世界の中では、友だちの友だちが友だちだったり、世間は狭いねってセリフが飛び交ったりもする。
時々私は想像する。
私たちの頭上には、運命という糸のようなものが伸びていて、「すれ違うだけの縁」だとか「一度きり同じ電車に乗る縁」だとか、そういう分類分けがされていて、ただそれだけの人たちとは、その瞬間が一番近い縁の糸。
絡まることも、掠めることもなく、今後はただ離れていくだけ、なんじゃないかって。
そう、思うと。
たとえ一瞬でも、あんなイケメンと関わりあいになれたという縁を喜ぶべきだろうか。
起こせたって誇りに思うべき……?
ふ、と自嘲気味に笑って、一つめの自動ドアを通って、オートロックの暗証番号を入力しようとした、その時。
「――あっ、すみません」
下ばかり見て歩いていた私は、オートロックの前に人が立っていることに気づかなかった。
頭頂部が当たって、跳ね返って顔を上げる。
――と。
「――あ。」
「――え!?」
「ん?」
また向き合った、雲上くん。
雲の上の彼くん!
(なぜあなたの方が先にいる……!?)
てか。
(ここにいる!?!?!?!?!?)
「――懐(なつ)、もしかして」
「うん。この子」
「……!」
隣に立っていたのはもう1人、このマンションの奥様達の男性アイドル。
ハイスペック会社員の世道(せどう)さん。
ちなみになんと、お隣さん。
普段はこんな時間に帰宅するような人じゃないはず。
……お母さんがそう言っていた。
なのに今、その世道さんが帰宅していて、しかもさっきの彼を連れていて!?!?!?
駅同様、状況が飲み込めず、それはもう、ひどい顔をしていたに違いない。
理解不能の問題が目の前に表れた時、私はとてつもない変顔になると、友だちに大笑いされたことがある。
「俺の、Sweet Voiceだわ」
「……ス……?」
あまりに発音が良すぎて、なんと言ったか聞き取れなかった。
いや、ちょっとは聞き取れた。
スイートボイス……って、言った!?
「マジか! 春ちゃんか! すげー偶然!」
そう言って、喜ぶ世道さん。
長身でイケメンだと騒がれる世道さんと並んでも見劣りしない――むしろ……いや、これ以上は言えない――彼に、瞬きを速める。
見た目、ほぼ外人。
日本人離れしたスモーキーカラーの明るい髪。
マットでアッシュな透き通った色をしている。
それを携える顔立ちは、西洋の王子様のよう。
高い鼻に、通った鼻筋、薄い唇はほんのり色づき、そして何より印象的なのは、その目元だった。
瞳は青色、灰色、そしてヘーゼルナッツ色。
いくつもの色が混じり合った綺麗な瞳が私を見据えている。
キラキラの淡い瞳を向けられて、私はこの状況に全くついていけなかった。
お隣の世道さんと一緒にいる彼に、取っ散らかった思考故、返事も反応もできずにいる、と。
「名前は春っていうの?」
「!」
彼が言った。
そして「ん?」と首を傾げてくる。
私を見つめるその魅惑の瞳。
(悩殺……ッ)
って、鼻血を出している場合じゃない!
「は、はい……っ」
小さい身体をますます小さくさせて、頷いた。
多分耳まで真っ赤に染まって、心臓がバクバクうるさい。
「春か……春。――うん、可愛い」
「!!!!!!!!!!!!!」
ちゅどーん!
春、爆発。
本当の名前は「春希」だけど、よくある漢字で捻りもなくて、ちょっと珍しくて可愛い名前に憧れてきた人生だったけど、今、私、ほんっとうに……。
(春って名前で良かったぁぁぁぁぁ!!!!)
人生の春が来た。
バラ色最高だっ!
「おじさんに感謝だな」
「だろぉ? って、こら! おじさんじゃないだろ! 海(かい)さんだろ!」
「――!」
そこで入ってきた新情報。
「……世道さんが……おじ、さん……!?」
どう見ても、まだ30代……いや、20代後半?
大人っぽく見えるけれど、若さみたいなものも感じる不思議な容姿。
そんな世道さんを「おじさん」!?
「俺の母の弟」
「!?」
「俺の姉の息子」
「!」
どうやらそれは本当らしい。
……と、いうことは……!?
「あの、えと、懐くん? っておいくつ……」
「おいくつ、って春ちゃん。春ちゃんと――」
「同い年だよ。どこから見てもそう見えるでしょ」
「――――――――――――――――――――、えっ!!!!!!!!!」
大きく間を置いて、お腹の底から出た驚き。
そんな私の驚きに、少しだけカチンときたのか、目の前の懐さ、いや、懐くん(って呼んでいいのかなっっ)が魅惑的な目を据わらせた。
「春って……失礼」
「!」
「さっきも駅から挨拶もなくいなくなったし」
「っ!」
そ、それは……っ!
懐くんが囲まれていたから、でっっ。
「俺、春に名前聞きたかったし、連絡先も聞きたかった」
「――、」
そこで続いたナンパな発言。
私の中で、イケメンは孤高という設定がデフォ。
だから、今後追いかけるのは私になるのだろうな、と勝手に覚悟を決めていた(!?)わけなのだけど――。
自分の置かれた状況が理解できず、目を白黒させる。
それでもなお、目の前の懐くんは最強にキラキラを背負っていて、直視できないほど。
いや、エントランスのガラスに反射した夕陽のせいだって負け惜しみでもいいから言ってやりたい。
「てことで、連絡先教えて」
「!?」
そうして簡単に差し出されるスマホ。
本当に、交換したいってこと!?
一度だって経験したことなかった展開に、世道さんを見上げる、と。
「それは是非、俺からもお願いします」
そう言って、世道さんが小さく頭を下げた。
「ど、どういう……!? 友だち、的な……!?」
「お、春ちゃん鋭い」
世道さんが指を鳴らす。
「懐、明日から桜ヶ峰に通うんだ」
「えっ!?」
まさかの同じ高校。同じ学年!?
「でも、一番の理由は、春ちゃんのその声」
――!
またも出た「声」。
さっきも懐くんが「スイートボイス」だとかなんだとか言っていた。
「えっと、さっき駅で眠りこけてた懐を使って男たちが動画配信してたんだって? それを春ちゃんが助けてくれた、って」
「えっ、いや私はそんなっ」
懐くんが起きるまで、グルだと思っていた……なんて絶対言えない。
ブルブルっと頭を振るも、懐くんは、
「春のお陰で起きられた」
と、世道さんに頷く。
「やっ、そんなっ! 私は本当になにもしてなくて――」
と。
否定する、と。
『さぁさシンデレラ企画! 誰が起こすか選手権~!』
「!!!」
スマホを掲げた懐くんが、どうやって探し出したのか、彼らの動画を見せつけた。
「それっ……!」
「削除依頼出す前に、一応保存してた。……再生回数は12回だったから安心して」
「!」
そう言って、動画を早送りしてストップさせる。
『ふべぇぇぇっ!』
私が足を掛けられて転んでいく瞬間。
「~~~~っっ」
色気のなさ過ぎる声に、両手で顔を覆った。
なんという無様……。
「この声で起きられた」
「なにぃっ!?」
しかし続いた予想外すぎる発言に、瞬時に顔を上げてしまう私。
目と目が合って、また呼吸が止まりかけて、思わずそっぽを向いてしまった私を、それを隣で見ていた世道さんが噴き出すように笑った。
……さっきから変な姿しか見られてない……。
「俺は春の声で起きられた」
「……ッ!?」
しかし、目の前のイケメンはマイペース。
自由に会話を続けてくれる。
「というか、もっと簡単に言うと、多分春の声でしか起きられない。……一度熟睡すると、起きるの簡単じゃないんだ」
「……!?」
そんな説明に眉根を寄せた。
するとそれを援護射撃するように、口を開く世道さん。
「それは本当の本当。こいつ赤ん坊の頃から寝太郎で、授乳とかおむつとか一切泣かないの。そりゃあ育てやすい子ではあったんだけど、今や朝起こすの死活問題。寝かしとけばいつまでも寝てて、こいつのタイミングでしか起きられない」
……ほう?
本当の本当に本当ってこと?
……でも。
「なんでそこで私の声に……?」
「そう! 俺も――失礼ながら――春ちゃんの声って特にアニメ声とかでもないし、高くも低くもないし、どうしてって聞いてたとこだったんだよ。迎えに行ったら、駅で会った子とまた会いたいって言われて、しかもその声の特徴が「俺の好みの声」とかまた抽象的なことばっか言ってさ、そんなんじゃわかんねぇよって言ってたら、後ろから春ちゃんが帰ってきて」
今、色々と簡単にさらっと言ってくれたけれど、かなり重要なこと言ってませんでした!?!?
(好みの声……ッ!?)
一気に体温が上昇して、心拍数と呼吸数も跳ね上がる。
びっくりして懐くんを見上げると、
「……今もガンガンに春の声が脳を揺さぶってるわ」
「……ッ、」
そ、それって……!?
(あまり良い意味ではないんじゃ……!?)
持ち上げられて、一気に天国から地獄。
紅潮反転、涙目になる、も。
「俺の中の何かが、ものすごく春の声に反応してる」
「!!!」
補足をされて、吐血しかけた。
(な、なんてことを……っ!!!)
「やだ、えろ~い」
「!!!!!」
真横でほくそ笑んでいる世道さんに、ますます爆発しかける私。
「てことで、俺が学校に行けるように朝、起こしてください」
「――っ!!」
**********
そうして、交代することになった懐くんとの連絡先。
「ありがとう」
「!」
飛び抜けて素敵な彼が、私みたいな小庶民に「ありがとう」って簡単に言う。
いや、卑下しすぎ?
マンガの読み過ぎ?
なのかもしれないけれど、住む世界の違う超イケメンがこんなにフランクに話してくれるなんて、想像つかなんだ。
(しかも、懐くんの方から連絡先を知りたいって言われるなんて……!)
ドギマギしながら、流れで一緒にエレベーターに乗る。
会話の途中、帰ってきたマンションの住人が、世道さんと懐くんのツーショットに膝から崩れ落ちそうになっていたのを、私は見逃さなかった。
そんな、すんごいハイレベルな男性二人に囲まれているこの現状は心臓に悪く。
早く15階に到着しないかと、電子数字をガン見していた。
すると。
「久しぶりに日本に帰ってきたからさ、懐に日本の高校生のこと、教えてやってね」
「!」
またも聞き慣れない設定が振ってきた。
「外国にいた……んですか?」
だからその、髪色?
「えっと、アメリカで良かったんだっけ」
「うん。アメリカ。その前がカナダ」
「!?」
「あ、こいつね、結構世界を転々としててさ」
「――!?」
どんだけ、ハイスペックなんだ、このイケメン!
「つ、つかぬことをお聞きしますが……髪とか……その瞳の色とか……自前、で……?」
髪の色もキレイ。
だけどその瞳の色はもっとキレイ。
もし、懐くんが私の声を気に入ってくれているというのなら、私は多分その瞳にめっぽう弱い。
きっとその瞳に見つめられたら、どんな無理難題だって「やります」って即答してしまうだろう。
「――、」
懐くんは返事に詰まっていた。
だけど、もう既に半分目を回していた私は、それに気づくはずもなく――。
「と、ととととってもキレイで、すごく素敵だと思いまして……っ」
「――素敵?」
「はいっ、すごく好き――、ってなんてことをっっ」
咄嗟に口を噤む。噤むだけじゃ収まらず、その上から手のひらを重ねた。
好きって言ってもらえて(声をだけど)テンションがおかしなことになっていた私は普段なら絶対に言えないことを、のうのうと言ってしまっていた。
初対面から「あなたの瞳の色――髪の色も――好きです」ってどういう強者だ!!!
「すみませんっ、私、こんな初対面で軽々しく好きとか口にするようなタイプではなくて――っ」
「懐は言ったけどね、春ちゃんの声」
「……ああああああああっっっ!!!!」
世道さんのツッコミに、墓穴を掘る。
「本当にすみません、もうこの通り謹んでお詫びします……っ」
じりじりになって、小さい身体をますます小さくさせる、と。
「――はは、なんだそれ」
「――……っ」
懐くんが笑った。
手の甲で口元を隠すように、脱力して。
「声だけじゃなく、気に入ったわ、春」
「――!」
そう言って、私の顎を掴んだ。
そうして引き寄せられた身体。
見つめられる瞳。
……好きなんだろ、って言われているように感じる。(←ドM)
背の高い懐くんに、簡単に引き寄せられる。
と。
「Thank you. My sweet voice.」
(!!!!)
そう言って、私の頬にチュッとリップ音。
「今日からよろしくね」
そうして解かれる。
懐くんの手。
……掠めた、すご~~~く良い匂いだった懐くんの香り。
――ボン! ブスブスブス……。
当然ながらショートする私を前に――。
「明日、起こしてね。じゃあまた明日」
「っ」
そう言って、スマホを掲げ、隣の世道家へと入っていった。
…………えーっと……?
腰砕けの状態で、どうにかドアに寄りかかって立っていた私は、ゆっくりとスマホを見下ろした。
増えた一つの電話番号。
するとすぐさま、
♪ジョインッ
「!」
トーク型SNSの通知が入ってきて、私のトークルームに懐くんの名前が表示されて慄いた。
(と、とんでもないことに……!)
思わずガタガタと手が震える。
駅で眠っていた王子様が、私の声で目を覚まし、そしてお隣さんとして越してきた。
そして明日から、同じ学校に通う高校生で、同い年。
しかもなぜか、私の声でしか起きられそうにないからと、朝起こしてくれと、そんなことを言う。
……これは、つまり?
私と懐くんの間に、得も知れぬ「縁」というものがあったと解釈して……OK?
あの時だけで、もう関わることのない存在だと思っていた。
だけどふたを開けてみたら全然違った。
もしかしたらそういうことって、これからもたくさん起こっていくのかもしれない。
今日まではただ、通り過ぎるだけ、すれ違うだけ……だった人が、明日には縁深い相手になっている、なんてことが起こりうるのが、この世界の面白さ、なのかもしれない。
繋がったトークルーム。
掠めた懐くんの香り。
……頬に、キス。
なんならこの壁の向こうに彼はいて、あの魅惑的な瞳で、同じ画面を覗いているのかもしれない……と思うと、縁とは奇跡だ。
尊大だ。
あまりに急転直下な出来事の連続に、私の思考は追い付かない。
(と、とりえあず…………。今日はもう寝よう)
課題なんてやっている場合じゃない。
夕飯も絶対喉を通らない。
逸る気持ちを前に、必死に目を閉じる。
そうして迎えた次の朝。
致命的なミスに陥ることに、この時の私はまだ気づいていなかった。
「……………っ、」
(ね、眠れるわけね~~~~っ!)

━━第1話終わり━━  

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